電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

先進国日本が失った一体感

ところでこの日、国立科学博物館では、たまたま「1970年大阪万博の軌跡」という催し物をやっていたので、友人の息子を一人旅させている間に見物した。
内容は、当時の企業ブース(三菱、松下電器電電公社など)の展示物の一部やパビリオンの再現模型などで、当時には最先端技術だった展示物(携帯電話や電動自転車など)を現在の市販品と比較するという、なんだか企業タイアップっぽいものが多かったが、最後は映画『20世紀少年』第二部のタイアップだった(笑)
一個人的には、この大阪万博に関連した展示物の中でも一番興味深かったのは、じつは当時の映像を映した記録映画だったりする。
大阪万博には、180日ほどの開催期間にじつに6000万人以上もの客が集まったそうである(外国人客もいればリピーター客もいた)。この客の映像が凄い、とんでもない長蛇の列で、みな当然のごとく家族連れで一族郎党が来ている。受付のお姉さん方は入場料の千円札の束を無造作に箱に突っ込んでは途切れることなく殺到する客をさばいている。
70年万博の人気展示物として有名な、アポロが取ってきた月の石の周囲なんか、あんな小指の先ほどもない小石のためとんでもない人だかりだ。
この群衆はみな正しく昭和の暑苦しく味のある日本人の顔だった――こう書くと不快がる人間は多いだろうが、この群衆の姿は、昨年の北京五輪での支那人の姿とほとんど印象が変わらない。これぞ正しく中進国のアジア人の群衆である!

「共通体験」の重みとウザさ

果たして1970年当時、なぜ万博にはここまで人が集まったのか?
当時すでにテレビはほとんどの世帯に普及していたが、やはり「直接体験すること」それも「他の人間と直接体験を共有すること」がまだ大きな意味を持っていたということではないかという気がする。
今では月の石についてでも何でもインターネットで情報は手に入る。わざわざ見に行こうという気はしない。
でも、本当は情報と体験はぜんぜん違うんだけどね。実際、友人の長男はダイオウイカの標本や手回し発電実験コーナーでおっかなびっくりながら興味深そうな顔してたもん。
それとやはり、1970年万博当時はまだ「人それぞれ」の分衆化時代ではなく、家族全員が一緒に食事し、行楽し、年末は家族全員で揃って紅白歌合戦を見るのが正義、みたいな一体感があった最後の時期だからだろう。この後、1970年代から1980年代を通じて、子供は自室に引きこもり、お父さんは残業で家に帰ってこず、分衆化の時代が進展してゆく……。
戦後日本でこういう「共通体験の重み」がもっとも強かった場面は、敗戦直後の天皇巡幸ではなかったろうか。天皇に向かって日の丸の小旗を振る群衆の映像には、日本は戦争には負けたが天皇のもとに一致団結してやり直んだ、という空気がみなぎっていた。それは美しい連帯感ともいえるが、すさまじい同調圧力プレッシャーだろうな、とも思う。
まあしかし、こういう「共通体験の重み」は、良くも悪くも、世の中が豊かになり、個人で自足して生きられるようになってゆくと失われてゆく。それを考えると、昨年末から先頃のアメリカでのオバマ大統領の当選&就任式典の群衆の熱狂ぶりを見ると「じつはアメリカは中進国だった!」と確信せずにいられないw