電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

衣食住が関わらないところに切実さはない

陰謀論は、手っ取り早く「自分が頭よくなった」ような気にさせてくれますからね。「自分以外みんなバカ」という承認欲求を満たしてくれる。「みんな」は騙されているけど、「自分」だけは知っている、と。

古市憲寿 若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ
http://news.livedoor.com/article/detail/5973806/

古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(isbn:4062170655)を読む。
この手の社会学的分析というものは、時として、一見きちんと歴史的な資料や数字的なデータの裏づけがあるようで、実際はデータの母数設定やリサーチ対象の偏り、さらには筆者の意図的・選択的な抜き出しがありえる。だが、本書はこの点にはかなり自覚的な方で、筆者の一個人的見解の部分は一応はっきりそう断ってある。
「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。
という見解は「なるほど」と思った。が、本書全体の印象は、わたしがここ数年漠然と思っていること以上の意外性はなかった。若者はケータイとネットとちょっとした顔なじみがあれば生活に充足してる、政治運動やナショナリズムらしき物はあっても、本気で社会を変革すべき飢餓感も必要もないヘタレだからどうせ安心……。
まあ実際、日本が今年8月のロンドン暴動みたいなことが起こる国になっても困る。とはいえ日本が今後下り坂なのは確実、来年すぐ滅亡するわけでもなかろうが(東ローマ帝国は、後半はイスラム諸国に脅かされつつ結局1000年も続いた)、このままでいいのかよ? とは思うけれど、自分程度の頭では切実な主張も出てこない。
古市憲寿は、東京都の「非実在青少年表現規制に対しては、本当に危機感を感じて動き出した人が多くいたと述べる。が、規制派の石原慎太郎は再選されてしまった。反フジ反韓流デモも一定以上は広まっていない印象。どっちも所詮、漫画やテレビという娯楽メディア表現の枠内での話。
漫画やテレビの内容がどう変わっても、べつに電気が止まったりご飯が食べられなくなるわけではない。でも、衣食住が関われば、政治運動に無関係な層も動かざるを得なくなる。
それで反原発運動はなら反フジ運動よりは格段に盛り上がっているが、これも簡単には一般市民に死者が出たりしないから、まだどこか国民全体の切実感が乏しい。
一事が万事不確かなまま情報ばかりが溢れ、でも日常はなんとなく続いている。