電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

その他のイヤ〜な思いつき

悪徳商法の話にかこつけて前々からの持論だが、振り込め詐欺の被害者というのは、結局のところ、騙されて喜んでいるとしか思えない。
子供や孫を自称する人間から金策の電話が掛かってくれば「自分は役立たずの年寄りではない、子供や孫の役に立つことができる」という気分が味わえる。この心理が自覚されない限り振り込め詐欺問題の根本は解決しない気がする。
多分、今の30代以下の人間の間では世に振り込め詐欺というものがあるという認知度は9割を超えていると思うが、逆にカモになる60代以上の人間では、認知度が多めに見積もって4割程度ではないのか。
しかしながら、今の30代以下の人間が60代以上になって振り込め詐欺の対象になる頃には、子供や孫のために何かしてやろうという意識より自分を優先する個人主義者が増えてるだろう。それ以前に「うちは子供も孫もいませんよ」が多数派か。

底辺の王とそのエサになる者

首都圏連続不審死事件の木嶋某に死刑判決が出た。当人は「殺害していません」と言い張っている。確かに彼女は、被害者を自分の手で刺したり首を絞めたりしていない。これは想像だが「練炭を置いて火を付けたら一酸化炭素中毒で勝手に死んだ。だから(自分が意志的に)殺したわけではない」と本気で思っているのではないか。
仮に彼女が本当に冤罪であったとしても、このタイプの女性は本当にいやだ。こういう「美人ではないが男遍歴自慢をしたがる女性」には心当たりがある。要は自分でも引っかけられる男だけを狙って引っかけている「底辺クラスの女王」である。
少し前、どこぞのステーキ屋の社長が、牛丼屋に来ると勝者の気分が味わえるとホザいていたのがツイッターで話題になった。ビル・ゲイツやかつてのロックフェラーやカーネギーのような本物の金持ちはそんなこと言わねえよ。それと同じだ。

教養というムダを廃したら残った物

某所で「団塊ジュニアガンダムしか金を使う対象がない」との意見を目にした。実際、我が同世代は難しい本を読んでるとか以前に、なんというか一般的な社会人としての教養が空洞化している気がする。
かつてなら、ちゃんと就職した奴なら職場の上司や取引先との付き合いで、高級車とか高級ブランドとかゴルフとか料亭とかワインとかの「社会人の教養」みたいなものを身につけさせられたはずだ(まあ、わたし自身もそれらに何ら魅力を感じないのだが……)
しかし70年代以降生まれの世代は、バブル期にはフリーターがもてはやされ、その後の90年代以降には正社員就職できない人が多数になる。
かくして「社会人の教養」継承の場に接する機会がなく、教養の基礎が漫画やアニメやゲームで止まったまま30代以上になってしまった大人が溢れている(別に漫画やアニメやゲームを貶める気はいっさいないが、プライベートの趣味と社交のための教養は別物だったはずだろう)。
ツイッターで大真面目に天下国家を論じている人が、まったく恥ずかしげもなく萌えアニメキャラのアイコンを使ってるのは、こういう事態の結果だろう。

嫌いなアイツは鏡に映った10年前の自分

今の日本で韓国や在日を嫌う人たちに「キムチは嫌いだが沢庵や納豆やぬか味噌は大好き」という人は果たしてどの程度いるのだろうか? 要は、韓国や在日にアジア的土着文化への自己嫌悪を見いだしているというオチではないのか。

王様はなんのため必要なのか

最近の自称保守主義者は「国益」を持ち出せば、なりふり構わぬ新自由主義政策でも電力会社でも何でも擁護できると思ってるらしいが、「国益」には現在しかない。保守というのは本来、過去から未来への文化継承ではないのか?
実利追求は伝統保守と両立しない。国益という名の実利主義を突き詰めれば「労働力にならない老人は殺してOK」「労働力以前の子供も将来に育成コストが回収できないなら殺してOK」となる。
そこまで国益国益って言うなら、うるさい隣国との商売に邪魔な靖国神社も廃棄して、税金で維持されてる天皇制も廃止すればいい。それこそ大幅に税金が浮くぜ。
靖国天皇制も何のために必要かと言えば、結局は現在の国益ではなく、それを維持しようとした過去の世代への敬意を忘れないため、「過去の日本に対する連続性を維持したい」という精神論だからね。
保守思想は実利主義ではなく精神論で上等なのだ。