電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

自民党に提案 「生活勅語」ってどうよ

相変わらず日本国憲法改憲論議のネタになっている。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
自民党改憲案では、家族は大事にしようとか、国旗や国家を尊重しようとか、道徳的なご高説と国民の義務がけっこう盛り込まれている。
一部では憲法学者小林節教授らが方々で強調しているが、憲法とは本来、国家を運営する側(公務員・官僚)の義務や基本方針を記したものであって、憲法で国民に道徳観や義務を課すのは筋違いであるという。
そういえば、多くの近代国家では憲法とは別に明文化された道徳律がある。
たとえば欧米ならキリスト教アメリカは今でも大統領は聖書を片手に就任宣誓を行なう。プロテスタント国はそれほどでもないが、イタリアやスペインやポーランドなどのカトリック国では、教会が生活上の道徳に大きく影響している(だから同性婚や妊娠中絶や離婚の是非がよく論議になる)。
これがサウジアラビアやイランなどイスラム法が生きてる国々ならコーランに定められた律法だ。さしずめ、旧ソ連ならマルクス・レーニン主義中共なら毛沢東、戦後の韓国なら儒教といったところだろう。
日本にこういうものがあるか? 良くも悪くも、日本の神道仏陀やイエスのような教祖のいない自然発生的な宗教である。『古事記』や『日本書紀』は歴史書であって経典ではない。記紀を道徳書にしたら、ヤマトタケルのような兄弟殺しや、オオクニヌシのような一夫多妻ハーレムも肯定されてしまう。
そこでふと思った。戦前の日本で、国民一般に対する道徳規範になっていたのは、大日本帝国憲法より「教育勅語」と「軍人勅諭」ではなかったか?
大正期もリベラルな政党政治家は「護憲派」を名乗った大日本帝国憲法は、むしろ議会政治に根拠を与えるものだった。しかし一方、義務教育を受ける子供は教育勅語で、徴兵された成人男子は軍人勅諭で、忠君愛国などの道徳的な価値観や帝国臣民の義務を教え込まれていたはずだ。
じゃあ、自民党改憲案は、9条で侵略戦争に対する自衛権を明文化する以外は余計なことはせず、憲法とは別に国民の道徳や義務を説く「生活勅語ってのを作ったらいいんじゃね?
ま、お優しい今上天皇がそんな勅語を出すのに賛同するかはわからないけどね。