電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

あたなたちの中で罪のない者のみが石を投げよ

またも何を今さらな話だが、元・酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの手記をめぐる論議について。

http://www.france10.tv/social/5184/
神戸少年連続児童殺傷事件の加害元少年の手記を受け止められない現代日本社会の闇

わたしは『絶歌』なる件の手記は読んでないし興味も持たないことにしているが、週刊誌の記事はある程度目にした。
なるほど道徳性はともかく文才自体はある人物らしく、文章は精緻で非常によくできた作品らしい。だが「識者」とされる人間の多くがやたらと筆者に批判的だ。
しかし、何故みんな手記の筆者を躍起に批判するだろう? ミもフタもない話「うっかりこの本の内容に共感してしまったらヤバい」という意識のためではないのか。
なんでもこの『絶歌』なる本は、元・酒鬼薔薇聖斗が性的サディズムに目覚め、子供をを捕まえて殺すのに興奮する過程を丁寧になぞっているらしい。
なるほどサディズムが嵩じて実際に殺人とか犯すのは困る。が、そもそも「異常」と「正常」の定義とは何なのだ?
わたしは学生時代、「フロイト派文芸批評家」を自称した師匠から、「『正常』の対義語は『異常』ではなく『過剰』」と習った。
世の中にはたくさんの人間がいる、中には、サディズム性癖がちょっとある者、ロリコン性癖がちょっとある者、同性愛の志向がちょっとある者、下着フェチの性癖がちょっとある者……etcetc、いろいろな性癖の持ち主がいる。彼らも犯罪さえ起こさず普通の社会生活を送っている範囲内なら、内面まで罪には問われない。
「正常」とは、これら様々な性癖がたまたま極端な反社会性を帯びない範囲にバランスを持って抑えられている状態、いわば最大公約数の平均値のことだ。
犯罪者ならざる善良な一般人でも、幼児期に小動物や昆虫をいじめて楽しんだことがある人ぐらいは少なくないだろう。
『絶歌』を読んで「自分にもそういう因子がわずかながらにもあるかも知れない」という事実を認めたくない人が、躍起に筆者を叩いているのではないか?
そういや三島由紀夫は戯曲『サド侯爵夫人』で、サド侯爵の肖像画は「自分たちには叶えられない悪徳」への民衆の嫉妬の火で燃やされたと書いてましたっけ♪

男子一生中二病

急いでつけ加えて置くが、わたしは元・酒鬼薔薇聖斗を擁護する気は一切ない。
そもそも、「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察官諸君 私を止めてみたまえ」という文言で始まる例の犯行声明文を今になって真面目に読み返すと、もぉ完全に中二病にしか見えない。
何しろ「積年の大怨に流血の裁きを」に「学校殺死の酒鬼薔薇」だぞw しかも「SCHOOL」の綴りを間違えて「SHOOLL KILL」と書いてる始末。
3年ほど前『日本人を震撼させた 未解決事件71』(isbn:4569678262)という本の仕事で神戸連続児童殺傷事件を取りあげたことがあり、この事件についてのネット上での噂話などをちょっと調べてみたら、「当時この犯人が『中二病』という言葉を知っていたら事件を起こしていなかったかも知れない」との意見を目にしてゲラゲラ大笑いした。
だというのに、事件が起きた1997年当時の「識者」は、この犯行声明文を書いたのは凄く哲学的な教養がある人物に違いないとか、「SHOOLL」という綴りには何か深い意味があるに違いないとか大真面目に力説してた。あーあ、その前の1989年に起きた宮崎勤の事件から何も学習してない。
今になって言っても後出しジャンケンだが、自分は直感で、ああどうせ漫画やアニメやゲームで得たファンタジー的衒学教養を切り貼りしてカッコつけてるような俺と同類の若造なんだろうなあと思いましたよ。さすがにリアル中学生とまでは予想がつかなかったけど。
要するに「大人」の「識者」は何でも小難しく考えるのが仕事のせいか、過剰に意味づけをしすぎなのだ。単に酒鬼薔薇聖斗は、知能はわりと高くても自分の性癖を抑えられなかったというだけの人物なのである。
そして彼の犯行の動機には自己顕示の側面がある。つまり興味を持ったり過剰な意味づけをしようとするのは、相手の思うツボに自らはまる行為なのである。
だから、元・酒鬼薔薇聖斗と同じく元犯罪者で、じゅうぶんに自分も異常な悪党だったと感じているわたしは、『絶歌』を読む気がしないし、その必要も感じない。