電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「指導者は無知な方が良い」って本当か?

司馬遼太郎坂の上の雲』を読むと、二百三高地の攻略に関して、単純な歩兵突撃を繰り返させた伊地知参謀長に黙って従うだけだった乃木大将への人物評価は厳しいが、総司令官の大山巌についてはそう批判的には書かれていない。
大山は、薩摩人の指導者の典型例で、細かいことは信頼のできる部下(この場合は児玉源太郎大将)に任せて、自分は現場の細かい事情はあえて知ろうとせず、いざ事態がどうにもならなくなったら責任を取るために控えている、という態度だったという。
なまじ現場の細かい事情など知ってしまうと、神経質に細々した指示を出してしまい、現場を参らせる、ということであろうか。なるほど、こういう小姑みたいな指導者が組織の頂点に立っていても末端はやりづらい。
実際、日本軍と対比される帝政ロシア軍については官僚主義悪癖が徹底的に、実証的に、指摘されている。
しかしだ「最高指導者は依らしむべし、知らしむべからず」ってのは本当に良い指導者像なのか?

朝日の下っ端はヤクザ?俺は昔から知ってるけど…

しつこいようだが、戦前までの日本軍の体質の悪癖の一側面(旧日本軍には現代日本にはない強い使命感、責任感、団結心もあった!)は現代の企業社会にも生きている、という説を繰り返す。
(――というか、近日公開予定のとある仕事では、ずっと内心これを意識して書いた)
比較的最近の例では、東京都の副知事問題、石原慎太郎は、まさに大山厳タイプ指導者のようにというべきなのか、自分が個人的に信頼していた副知事の問題を気づかず放置していたらしい。
今から丸一年ちょっと前、株式会社ウェディングという会社が話題になった。
ネット上に自作自演の自画自賛サイトを作って、Googleで自社名を検索したらそればかりが検索結果上位に来るよう操作した、といわれる会社である。
同社は当時年商が70億円以上あり、100億円を目指していたそうだ。
同社の商法は、男性の客に女性の店員が、女性の客に弾性の店員が、言葉巧みに店内の閉鎖空間に引き込んで、異性は宝石を贈られるとどんなに喜ぶかと、ほとんど洗脳じみた説得を行うものだったと言われる(と聞いているだけで、実態はよう知らんがな)
それ自体はまあ、違法でも詐欺でも、暴力的な恫喝を伴う強要の類でもないだろう、多分。
が、一見暴力的ではないが、強要に近い営業を行う業者は少なくない。
つい先頃も、こんな事件があった。

購読無理強い容疑で朝日新聞専売所従業員逮捕
2005年05月30日21時50分
http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY200505300311.html

わたしも若い頃、朝日新聞の販売店で働いた事はあるんで(まあ朝日に限らず、新聞販売店というのはこういうのが多いが)、いくらでもよくありそうな話、とは思った。
――さて、石原知事にせよ、ウ社の件にせよ、朝日新聞にせよ、こういう問題が起きたとき、トップの責任は問えるのか、トップは末端がこういうことをしでかしてることを、どんぐらい知ってるのか、知ろうとしているのか? とゆーことである。
ほとんど決まって、経営陣は、事態が発覚すると「知らなかった」と言う。
いかにも言い逃れめいているが、案外ウソではない場合も大いに考えられる。
ここで「責任が曖昧な日本的体質」が問われ、大山巌型指導者を手放しに礼賛して良いのか? というハナシになるのだ。

モラルハザードの構造想像図

以下はまた勝手な想像である。だが、それなり現実性は高い想像だと思っている。
W社(仮名)の社長ほか経営陣は、次の幹部候補であるところの部長だか課長だかの中間管理職から、かくかくしかじかで年商が70億円台になった、と報告を受けた。
いかにして年商70億円台になったかの詳細は聞いてない(というか経営陣は忙しい、いちいちそんなもん聞いてる余裕はない)、でもって景気良く、その部長だか課長だかに「よっしゃ、じゃ年商100億円を目指せ」と激励する。
激励された部長だか課長だかの中間管理職は「社長に誉められた、わーい」と喜び、それが自分の地位向上にもなるからと、現場下っ端の部下を「年商100億円が目標だ、みんな頑張れ」と叱咤する。
年商100億円を実現するためのノルマを発表するかも知れない。
ノルマといっても「個人営業達成目標」というだけで強制とは限らない。
でも、「個人営業達成目標」を果たせば誉められ、足りなければ、あからさまに怒鳴られたり殴られることはないけれど、気まずくていたたまれない気分にさせられるものかも知れない。
現場下っ端は、部長の顔を潰しては悪い、というか部長にどやされては怖い、それに自分の面目もある、というわけで、時として、詐欺すれすれ、暴力的強要すれすれ、営業対象の客を密室に閉じ込めての洗脳的勧誘などの手法を用いる。
中には営業手段に疑問を抱くような倫理観の持ち主も出るかも知れない。だが、上司に言って解決する問題ではない。なぜって「みんな」「社のために」(なぜか「俺の(給料の)ために」とは絶対言わない!)やってることだからだ。
そう、部長が、社長が、個人で命令してることじゃない。
それに、詐欺すれすれ、暴力的強要すれすれ、営業対象の客を密室に閉じ込めての洗脳的勧誘などを行う人間も、個人として一対一で付き合う分には、決して悪い人ではないのだ、多分。
かくして、社の営業方針に疑問を抱くような倫理観の持ち主がそれを口に出しても、どうすることもできず、結局そいつの方が辞めることになる。
そして、上には結果の営業成績(売上)だけしか報告されない。社長は喜んで「この調子で営業成績を伸ばせ」と言うだけで、いかにして営業成績が伸びているかなど、知ろうともしない……
――以上は憶測である、あくまで憶測である。
が、満洲の荒野に日本軍の血涙が何万と無駄に消耗され、のちには現地住民に偽装した便衣兵との混戦で泥沼の死者数を出すような戦争に至り、それから50〜60年後も、証券会社や金融機関が経営者さえ把握せぬうちに破綻し、大惨事を起こすような危険放置の鉄道会社が堂々と営業される背景には、かような構造があるのではないか? などと、一介の無学な下っ端なりにも偉そうに考えてみるのである。