電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「これでは道化ではないか」(byシャア・アズナブル)と言いつつ……

サークル「惑星開発委員会」の同人誌『PLANETS』というもので、インタビュ記事に参加しました。
12月30日のコミックマーケット69で販売されます(定価\1,000)
告知ページの方では、惑星の自称「善良な市民」君が、骸吉ごとき無名の書き手を使ってもインパクト薄いと思ってか、面白がってやけにセンセーショナルな見出しをつけてくれてますが、他の執筆陣と比較すっと、もはや完全に珍獣扱いだなw
しかし、こんな見世物のよーな道化役を引き受けたのにも理由はある。
少し前「宝島病」という言葉を見つけた。要するに、昨今の「ネットウヨ」だの「ぷちウヨ」だのと言われる現象の源流を、1990年前後の別冊宝島、今はなき『宝島30』の周辺、呉智英夫子、浅羽通明氏、大月隆寛氏、オバタカズユキ氏などとの言説に見出す、という見方である。この見方、ある程度の広がりはあるらしいし、まあ当たらずとも遠からずという一側面はあるだろう。
だが、これには、わたしとしては忸怩たる思いがある。
わたしはかつて1996年から1998年まで、浅羽通明氏の公式サイト「みえない大学本舗 電脳分校」というものを運営していた。これは後に単行本『野望としての教養』にまとめられた、浅羽氏の法政大学での講義録のWeb公開をメインにしたものである。
ついでに「民俗学者 大月隆寛を勝手に支援するサイト」というものを作って、そのうち付設掲示板に大月氏当人が出入りしてくれるようになった。
掲示板はそこそこ賑わって、当時のわたしは、まだろくに食えてもいない半人前のくせに大月氏が仲良くしてくれるというので、図に乗っていたものだが、浅羽氏とオバタカズユキ氏から「インターネットなんてミニコミ同人誌と同じじゃねえか、そんなもんでぷちギョーカイごっこでいい気になるな、きちんと一人前の大人の仕事をしろ」(要約)という意味のお叱りを受けた。まったく全面的にその通りである。
そんなわけで「みえない大学本舗 電脳分校」は閉鎖した(それ以降も浅羽氏と顔を合わす機会はあったが、馴れ馴れしくしないようにしている)
更に、その後、わたしはヒステリーを起こして、自分が浅羽氏に叱られた内容を、ひどく歪めた口調でそっくり他の大月氏の周囲の人たちにやり返した、という見苦しい後日談があり、この件が原因で大月氏ともウヤムヤのうちに疎遠になったが、その時わたしのせいで不快をこうむった人々に対しては、結局、最終的に自分から「わかりました。今後、不特定多数の第三者の目に付く場で、あなた方を非難する事は一切しません」と明言してしまったので、この件については沈黙させて頂く(別に無視してるわけでも、過去を隠蔽してるのでもなく、自分からした約束だから、守らざるを得ないのだ)。
――と、以上のような経歴を持つわたしに、「善良な市民」君から、じじいの歴史証言が聞きたいとのお声が掛かったのは、彼も、かつては旧別冊宝島言説の影響は受けていたが、その上で、現状のネット世論状況には違和感があるという問題意識のためらしい。この一点のみは彼と見解が重なるかも知れないと思ったので引き受けた。
いざ引き受けてみたら、結局、見世物の道化にさせられてしまった様相だが、どうせ常々このブログで書いてるようなことの繰り返しで、大したことは語ってない……なーんて書くと、せっかくの同人誌の売上に響くかも知れないが、わたし以外の執筆陣は立派な原稿を書いてるはずである、多分(まだ見てないけど……)。

必要悪としての密室政治?

皆もう忘れかけているだろうが、わたしは昨年「イラク人質(俗称「三バカ」)事件」で一番得をしたのは、株式会社ウェディングであったのではないか? と思っている。昨年3月、件の人質事件が起きる前、ネット世論では、自社に関するGoogleの検索結果情報を自作自演の自画自賛で埋め尽くし、同社の手口を告発した「悪徳商法マニアックス」を潰そうとしたこの悪徳企業への、誰が言い出したともない自発的な草の根告発が盛り上がりかけていた。が、4月に入り、この草の根告発のエネルギーは、イラク人質自作自演疑惑の波にかき消された。ネット上での、誰が言い出したともない自発的な草の根告発とは諸刃の剣だな、と痛感させられた次第である。
そして今年、11月にふってわいた、姉歯設計事務所、悪徳マンション業者ヒューザー木村建設その他による耐震強度偽装問題で一番得をしたのは、JR西日本かも知れぬ。尼崎の脱線事故って何年前の話だっけ? って、今年だよ! みんなトコロテン式に入れ替わりで忘れてないか? どちらも大企業の安全管理のずさんさ、という同じ問題を反映した事件(こういうこと、高度経済成長期にもゴロゴロあったんじゃないかと思うけど)ではあるが。
一部で注目されているこのサイトによると、耐震強度偽装問題の真の最大の悪党は、各機関の民営自由化の名のもとにずさんな強度チェック制度を広めた国土交通省の偉いさんらしい(って、この話、どの程度まで本当かどうかは知らん)が、いまだマスコミ報道はそこまで踏み込んでない。肝心な部分はいつもブラックボックスだ。
が、そういうのって、ブラックボックスなのもしょうがねえのかなあ、と思うこともある。
わたしは本年のベストセラーとなった佐藤優の『国家の罠』は関心ありつつ、怠惰にしてまだ読んでないのだが、先日『週刊文春』に掲載された佐藤優鈴木宗男の外務省内幕暴露対談は非常に興味深かった。
いわく、外国に赴任する外務省の高級官僚というのは、相当の高給で、高額の外交機密費を使える、そこでそれを私用化する不届き者も少なくないというのだが、佐藤&鈴木によると、外交というのは、どうしても、能力のある外交官にワンマン的に任せるしかないものらしい。彼らは、自分らは北方領土返還などのためロシア官僚の懐に深く踏み込む努力をしてきたんだと自称する(って、この話、どの程度まで本当かどうかは知らん)。
どうも、特に、この両者が接してきたような、旧ソ連、東欧圏などは、いまだに共産政権崩壊後の混乱の余波で、軍閥政治がまかり通っている、だから、外交成果を引き出すには、どうしてもそういういかがわしいボスと一個人的に仲良くなるしかなく、その過程では、日本の一般国民の目から見れば、いかがわしい人脈関係、外交機密費の私用化と見えても仕方ないこともある、ということらしい。恐らく、田中角栄はそういうグレーゾ−ンを清濁併せ呑んできたが、外務官僚としての経歴があったわけではなく、国民の潔癖な世論に推された田中真紀子は、そこと摩擦したのではないだろうか。
以上はあくまで、佐藤&鈴木の主張への、わたしの個人的解釈ではあるが。
しかし実際、そもそも近代の前半まで、列強諸国の間で、外交とは多分に、王侯貴族の個々人同士の馴れ合い政治だった。先日、畏友にもらった『映像の20世紀』(10年前にやってたNHKの特番)のビデオを見返したら、第一次世界大戦では敵同士となったイギリス国王ジョージ五世とドイツ国王は、ともにヴィクトリア女王の孫で、ヴィクトリア女王の存命中はヨーロッパそのものを舞台に列強間の大戦争は起きなかったが、20世紀になってヴィクトリア女王の没後に第一次世界大戦が起きた、という説明がされてた。確かに、かつてはヨーロッパの王室は皆お互いに姻戚関係で、国益のため戦争が起きても、王侯貴族の馴れ合いで戦争が収まったりしたらしい。そういえば、一時ポル・ポト共産政権のために荒れまくったカンボジアの再統一をまとめたのは、結局シアヌーク殿下である。
戦後日本の建前上の平等主義は、こういう寡頭政治はとにかく良くないということにしてしまったが、本当に有能な人間が、結果として国民多数の幸福のため働いてくれるのなら、VIP同士の馴れ合いによる密室政治も必要悪かも知れない。しかし、その高級官僚やら高級外交官やらが、皆が皆、本当にそんな清廉の士とは限らない、というのが難しいところである。