電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

アムウェイのキモさの正体

深夜に先輩から電話があった(以下先輩の発言は大意を要約)
先輩「ネットで変なビジネスに勧誘された。なんか、アムウェイとかのネットワークビジネスマルチレベルマーケティング、連鎖販売)みたいな感じ」
わたし「へえ」
先輩「でもさ、確かにアムウェイとかって、皆で集まって大声でスローガンを合唱したり気持ち悪いけど、そーいうのって住友商事パナソニックみたいな一流の大手企業でもやるわけじゃん。新人社員が日の丸はちまき締めて『みそぎ研修』とか一時期よく話題になっただろ」
わたし「ああ。でもさあ、ああいう一流企業とアムウェイみたいなネットワークビジネスはハッキリ違うところがあるんだよ。普通の会社は、入社したらみんな机を並べて一緒に何時間も仕事して、一緒に取引先に営業に行くよね。でもさ、アムウェイみたいなビジネスは同じ職場に出勤しない、会員が個々バラバラに自分の利益のために物を売るだけ……わかる? アムウェイみたいなネットワークビジネスは、ああやって儀式的な集会で無理やり一体感や高揚感を作らなきゃ、共同性が維持できないんだよ
先輩「なるほど」
わたし「戦時中に『ハワイ・マレー沖海戦』っていう海軍航空隊の記録映画があったけど、あの映画に出てくたような少年飛行兵も、大勢で声を張り上げて体操したり、日の丸はちまき締めて『天皇陛下万歳』とか『大日本帝国万歳』とか大合唱してた。あれも現代の目で見ればカルト宗教みたいだろう。でもさ、彼らには口先だけでなく、首から下の行動で生死を共にしてたわけね。この点、現代のアムウェイみたいなネットワークビジネスは個人の欲だけが目的じゃん。だから『このビジネス、僕は儲からないな』とわかったらすぐ辞めて逃げる」
先輩「実際に儲かる奴もたまにはいるんだろうけどね」
わたし「ああ、何千人一人かは本当に儲かってるだろう。でも、その陰で何千人もの『うまくいかなかった例』は一言も言わず。何千分の1かの『儲かった例』だけ何千回も強調してくり返し言う。すると聞いてる方は『儲かった例』が全部だと思っちゃう。これがあいつらの手口なんだよ。ネットワークビジネスの勧誘はウソは言ってない。ただ悪い話を一切隠して言わないわけだ←QB(キュゥべえ)と同じだw
先輩「ビジネスに絶対成功する『法則』ってあると思うか?」
わたし「数学じゃないんだから『法則』はないでしょう。『傾向』ならあるだろうけどね」

文化的な無責任/汗臭く泥臭い責任感

「オタク」と「ヤンキー(DQN)」という二項対立でものを語りたがる人は多い。先日、こういう意見を目にした。

先に結論を書いておくと、私はDQNは必ずしも成熟しているわけではなく、単に「人生という名のRPGにおける、「メインイベント」の進捗率が速いだけ」だと考えている。
つまり、DQNと称するクラスターに属する人は早く結婚するし、早く子供が生む。だが、それは「成熟」と必ずしもイコールで結ばれるわけではないと思う。
http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/53134556.html

興味深い意見だとは思ったが、わたし個人としては、いろいろ見落としすぎなんじゃないかという気がする。
「オタク」と「ヤンキー(DQN)」の違いは単にさっさと男女でつがいになって子どもができて親になるかという問題だけではない。
端的に乱暴に分ければ、オタク人種の多くは文科系でデスクワークの内勤、職業で言えばプログラマ経理や事務員として働くような人で、ヤンキー(DQN)の多くは体育会系のブルーカラー、職業で言えば飲食店や製造業や建設業や運送屋などで働くような人たちだろう。
後者の職業環境においては強固に求められるものがある。厳格な先輩後輩関係、身体を使う仕事特有の危険安全意識だ。
わたしが20代の頃、解体現場で一日バイトしたときなどは、一見いかにも荒っぽいおっさん連中が、すごく厳格な安全点検をやっていた。でなければ解体中の瓦礫が落ちてきて大ケガする職場である。この点、内勤のデスクワークではミスをしても簡単にケガ人が出ない代わりに責任も明確になりにくい。
こうした違いを考えれば、一見「文化的」に見えるオタク系インテリの職場より、ヤンキー(DQN)の職場の方が口先だけでない実体的な共同性が求められるのは、当然というものだろう。

@yukiwochoro choro
地方に残るわしらの世代(30後半)の人間で、大抵地域でネットワーク作ってるのはヤンキーあがり。たとえばまつりの世話したりとか消防団やったりとか、保守系の市議会議員になったりとか。てかオタクだのサブカルだので地域に根ざしてるのはまずいませんから。
12月2日 webから
http://twitter.com/#!/yukiwochoro/status/142590270872100865

もっともわたしは、こういう地方の小さな職場の共同性の束縛が嫌で、東京に逃げてきて、出勤しなくて良い(低収入の)フリーランスなんぞやっとる人間だから、エラそうなことは一切言えない。しかしだからこそ、そーいう自分に欠けている部分を自覚的に直視はしなければならないと感じている。

「趣味」だけでつながる関係のもろさ

かつて田中角栄は1970年代のロッキード事件で失脚した後も、地元新潟では絶大な支持を得ていた。地元に新幹線を通すなど露骨な利益誘導の賜物だが、彼が良くも悪くも地元民に愛されたのは、そればかりではなかったようだ。
こんな伝説を聞いたことがある。選挙の時、角栄が農村の支持者のもとを訪れて、わざわざ背広姿のまま泥だらけの田んぼに入り込んで農民の支持者と握手したという……これをクサいパフォーマンスと笑うのはたやすい。が、こういう首から下の行動が伴う形で相手と一緒に汚れる覚悟なくして、本当の共同性が生まれるはずがない。
なんでも麻生太郎が韓国でK-POPはすっかり日本に定着したと発言したら(注:麻生太郎自身がK-POPや韓流好きとは一言も言ってない)、そんだけでネット世論では急に麻生叩きが盛り上がったそうである。

麻生元首相が韓流文化を評価 「ネトウヨ」失望、「2ちゃん」で「祭り」
2011/11/28 19:21
http://www.j-cast.com/2011/11/28114472.html

数年前のネット世論での麻生太郎人気というのは、結局「麻生太郎ローゼンメイデン愛読」という都市伝説から「自分らの好きな物を総理大臣も好き→自分らも権威づけられる」という虫の良い解釈が広まっただけではなかったのか。
政治家がどんなタレントやサブカルチャー作品のファンであるかは、あくまで個人の趣味、好みの問題であって、政策の中身とは一切関係ないだろう。だというのに、ネット世論の麻生ファンはこんなことで簡単に手の平を返すとは、要するに『韓流・K-POP』も『ローゼンメイデン』も等価というわけか。
麻生太郎の本来の地盤の九州北部には、彼を「地元の気前の良い御曹司」と思って好感を持ってる人もいるだろう。かつての角栄新潟県民ほどではないにせよ、そういう地元民たちは、こんな趣味の発言ひとつで手の平を返さないと思いたい。むしろ、趣味の話で手の平を返すような共同性しか持ってない人間は離れてくれた方が良いかもね。
まあ、支持者との仲が口先だけになってるのは、自民も民主も似たりよったりだろう。
おいネットワークビジネスと仲良しの山岡賢次大臣、お前が困っても本気で弁護してくれる奴が出てこないのはなぜかわかるか?