電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

言い訳ラーメン

前から気になってた渋谷駅側のハイカラ食堂でカレーとラーメンを食う。
http://www.trb.co.jp/Haikara/Shibuya/
ラーメン一杯280円というデフレスパイラル価格と、美空ひばり映画ポスターの貼られた昭和30年代風な内装、というコンセプトはいかにも今様だが、こういう店が神田や上野にあればあざとく似合うのは納得できるとして、よりによって渋谷に出店、とはなあ。
そういや渋谷東急ハンズのホビーコーナーには昭和30年代の町並みを模したミニチュアの食玩が売ってた。何のキャラクターグッズでも何でもなく、自転車に乗った豆腐屋とか、銭湯の内装のジオラマセットとか、そんなの。
なんか、フィリップ・K・ディックの『去年を待ちながら』に登場する、1930年代のアメリカ地方都市の一空間をそっくり再現させて楽しんでる富豪の話を思い出す。でも、こーいうのが好きなのは日本人の感性なのだろう(小世界再現盆栽箱庭趣味)、同じディックの『高い城の男』にも、アメリカを占領した日本人の中の「趣味人」が、昔のアメリカの何の変哲もないキッチュ大衆雑貨や古雑誌を収集して喜ぶ、って描写があったし。

――さて、先日わたしが昔一日だけ付き合った悪徳?商法の話を書いたが、先頃名古屋で、男に押し入られて事務所を爆破された軽急便というのは、その後目にした情報によると、一種の悪質内職商法だったらしい。なんでも「月収30〜50万円も可能」という謳い文句で100万円ほどの軽トラックを購入させ、最初の一ヶ月程こそ加入者に配送の仕事を回すのだが、その後はぷっつりで、加入者は軽トラック購入のローンにあえぐのみ・・・とかいう話だとかなんとか。同社に乗り込んで爆破したのは、生活に行き詰まってた同社の元従業員だったと聞く。

本当だとすればひどい話だが、しかし会社に乗り込んだ男の方も、会社の支店長をぬっ殺して事務所爆破、では、そりゃ世間的にはただのわけのわからん凶悪犯罪者である。
一方、軽急便の側には「『月収30〜50万円も可能』というのは、別に『絶対に付最低30万円は得られる』などと保証したわけではない」等といった言い分があるそうだ。
出ました! 確かにそう言えばそうなのだろう。わたしが一日関わった変な商法も、極めて巧妙に「絶対に儲かる」とは言わなかった。代わりに「やってみなくちゃわからない」「やってみれば『なーんだ』と思うよ」を繰り返した(これはアムウェイ創価学会の常套句でもある)
また、集団レイプで話題の悪徳ナンパサークルのスーパーフリーにも「行為後一緒に食事すれば和姦になる」という告訴対策用の内規があったと報道されている。

わたしが重要なポイントだと思うのは、こうした言い逃れ口上というのは、ただ即物的に、法的に訴えられないための抜け道であると同時に、内心的に、組織内部の関係者が罪悪感を感じずに済むための道具として大きな意味を持ってるんじゃないかな、ということだ。
わたしは、大規模な組織犯罪とか企業の不正に確信犯というのは滅多にないのではないか? と思う。恐らく、軽急便にもスーパーフリーにも、ただそこに属していただけの潔白の者も、またシロかクロはないまぜのグレイの人間も多くいただろう。
悪徳企業のトップ経営陣は自分のやってることが詐欺に近いことをわかっていても、末端の構成員は上に言われた通りをやってるだけかも知れない、また逆に、末端が営業成績を挙げるためなりふり構わぬ暴走をして、中間が情報をごまかし、上層は結果の成績しか聞いてないため事態が放置、ってのもありそうだ。

で、ひとつ言えそうなのは、結果、世間的に「被害者」になったが得、「泣けば官軍」ってことなんだろうな。軽急便は爆破男の遺族に賠償を請求したと聞く、シャレにならん話だ、爆破男も浮かばれまい。しかし実際、この件に関しては確かに軽急便は被害者である。
わたしは本年5月、りそな銀行の監査結果を握りつぶされ自殺した会計士のことを書いて「俺だったらりそな重役に殴りこみしそうだ」と書いたが、本当にやったらこうなります、良い子の皆さんは真似しないように・・・

とはいえ、皆が皆、自分の方こそが被害者になろうとばかりする世というのもせちがらい。

しかしだ、被害者と言えば先日、新宿駅前で、北朝鮮拉致被害者を救う会が「首相訪朝後丸1年が経つが事態は好転していないではないか」と訴えているのを目にしたのだが、わたしがちょっと驚いたことに、通行人はほとんど反応していなかった。いつも新宿で見かける奥尻島救済支援の街頭運動とか、イラク反戦運動の呼びかけに対する反応と同じ、みな素通りだ。すぐ側の京王デパートの阪神優勝セールの呼び込みの方が勢いがあり、人も引き寄せられてた。

北朝鮮問題に関しては、吉田司氏か誰だったかが、この件に関しては日本が国際社会に対して天下晴れての被害者の立場を得ることができたゆえか、世間的に拉致被害者への同情と北朝鮮批判が一気に広がったんだろうとか書いてて、実際そんな印象もあったが(わたしはネット上で「同和利権」と同種の「拉致被害者利権」なんて言葉まで目にした)、案外と世間の同情も北への批判も、口だけ、気分だけの盛り上がりなのかもなのかも知れない。

昨年の首相訪朝後のブームに便乗して声高に北朝鮮在日朝鮮人批判を唱える人々は、では少しでも拉致被害者救済や脱北者支援のため実際に体を動かしているのだろうか? (わたしは脱北者支援をやってる李英和氏などは無条件で尊敬する。同氏はブームのずっと以前から、同氏自身が在日ゆえにこそ、同じ在日同胞からの猛批判を受けながらも北の体制批判を行っていた)

そういえば拉致実行の工作員も、少々無茶な理屈で、自分で自分に「これもゆくゆくは世界人民のため(世界共産化のため)なのだ」とか「拉致対象の人もいずれは我々の理想を理解してくれるだろう」とか言い聞かせてたらしい。多分同様に、戦前戦中、朝鮮半島から使い捨て炭鉱労働者を大量徴用した日本人も、一応形式的名目的な雇用契約だけは結んで、自分で自分に「これもお国のため」とか言い聞かせてたんじゃないかとも思うが。

――まあ多分、何事も、一方的悪役探し、一方的被害者顔ばっかりしても平行線なわけで、その辺をもちっと精密にやるために、人間の中にある「言い訳を求めてしまう心」ってもんを直視し微分する作業が必要なんじゃないかと感じる次第。