電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

さて、先頃の衆院選挙に中曽根康弘元総理が

出馬を表明していたが、自民党の世代交代、老害の排除というイメージ戦略を狙う小泉首相のたっての要望で元総理は出馬を断念したわけだが、その中曽根元総理「自分が政治家として現役の内に憲法改正を実現させたかった」ってのが永年の望みであったとか、そんなことを言ってたらしい。

中曽根康弘三島由紀夫楯の会事件を起こした時の防衛庁長官だった。事件直後、中曽根長官は、この事件を、法治国家にあるまじき暴挙だとか言って激しく非難したらしい。そんな中曽根長官も憲法改正論者なわけで、腹の底での思いはむしろ三島に近かった筈だ。しかしまあ、仮に本心はどうあれ、立場上、公職にある者がクーデター未遂を起こした人間への共感などは口にできないもんだろう。
中曽根元「長官」の、自分の目の黒い内に憲法改正を、という執念は、深読みすれば、楯の会事件の時は立場上三島を悪者扱いせざるを得なかったことへの贖罪意識なのかなあ……というのは、少々好意的に過ぎる解釈かも知れないが。

大体、中曽根元「総理」はタカ派と言われつつ右翼のウケが良くなかった。80年代当時、レーガン大統領と「不沈空母」発言やらで反共の闘士という態度を取ってた中曽根のことを、赤尾敏大日本愛国党は「風見鶏」と呼んで罵倒してた。
どうもこれは、三島や赤尾敏など昭和初期の青年将校のようなロマン的愛国主義と、中曽根のようにそれを現実に行おうとするシステマチックな現実保守主義は相性が悪い、ということの現れだろう(そういや三島は戯曲『わが友ヒットラー』で、ナチスの熱血青年将校であるレームを、既得権力との妥協のため粛清したヒトラーへの嫌悪を示してた)

さて、どうも小泉首相と中曽根元首相はけっこう仲が良いらしいのだが、これは要するに、郵政民営化をはじめとする小泉構造改革が、国鉄(→JR)&電電公社(→NTT)の民営化をはじめとする中曽根行政改革の延長上にあるからだ、という意見はあまり聞かない気がする。
この中曽根―小泉ラインの、実力主義の自由競争といえば聞こえが良いが、実質、元から富と力のある者しか生き残れない弱肉強食の政策は、なるほど昭和初期の青年将校が主張したような、皆が国家主導の下に食うに困らぬ世を、というロマン的国家社会主義とは激しく似て異なる。もっとも、今日それがそのまま有効とも言い切れぬが。