電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

11月25日は「楯の会事件」、三島由紀夫の命日。

昭和45(1970)年のこの日、三島由紀夫は、自らが率いていた青年組織「楯の会」のメンバーと共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、自衛隊に決起を訴え割腹自決した。

三島由紀夫は、1960年代当時、さしずめ現在の北野武宮台真司町田康を全部足した以上のサブカルチャースターだったんじゃないかと思う。
なにせ、東大卒の大蔵官僚を経てノーベル文学賞候補にまでなった世界的な小説家が、私費をはたいて宝塚のような服装の(しかしマジな)私兵団体を作り、自ら映画に出演して主題歌を歌い、ボディービルをやって鍛えた肉体を篠山紀信にヌード写真に撮らせて雑誌に載せ、大スター三輪明弘主演の舞台劇の演出まで手掛けたり、というマルチタレント振りである。

21世紀を迎えた現在、60年代当時の文化スターの多く――寺山修二や大江健三郎赤瀬川源平横尾忠則やら――が、市民権を獲得して教科書に載るような存在になる一方、むしろ皮肉にも、時代に追い抜かれ、あるいは一時的な「前衛」としての価値を薄れさせ、もはやラディカルではなくなり、その存在感を失いつつある中、いまだ三島は何か生々しい。

というか、三島が身を張って否定した戦後民主主義やらアメリカ追従の安保体制やら憲法9条やらが一向に片付いておらず、むしろ21世紀の昨今になってますますその議論が重要な意味を持ってきたという感じがある。
(ついでにいうと、彼の同性愛志向というスキャンダリズムにも結論が出てないせいもあるだろう。そういや、正確な著者と書名を忘れたが、どっかの外国人の書いた「世界のゲイカルチャーのキーパーソン100人」とか何とかいう本で、三島は唯一の東洋人として、それもけっこう上位に名前が挙がってた)