電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

昨日の補足

昨日ちょっと触れた、進歩的・近代的価値観がイコール男性原理と反するとは限らない、ということの良い例は、アメリカにおける女性と黒人の地位向上は第二次世界大戦での徴用によるところが大きかった、という皮肉な逆説だろう。

もっとも、わたしは別に、こういう話を持ち出して「だからフェミ女の言う『女の自立』なんてのは、しょせん現実には、男社会の余剰物の恩恵にあずかってるに過ぎないんだよ」とニヒリスティックな態度を気取りたいわけではない。

要するに、どっちが抑圧者でどっちが被抑圧者か、何が強者の利益になり何が弱者の利益になるか、といったことは、案外と事情が複雑に絡み合ってるもんで、そんな簡単な二元論で片付くものではない、ってこと。
単純な「男性原理=悪/そうでないもの=正義」という二元論サヨ女への補足は以上。

で、も一つは、わたしが『諸君!』誌の「麹町インターネット測候所」がなんか気に入らない理由。
はっきり言うが、この記事の筆者は、ただ「サヨ」を嘲笑するのに執心なだけ、そんな自分って(バカなサヨクよりは)頭がイイ、カッコいい、という自己愛だけで、まっとうな保守主義者なら本来持ってるはずの、祖国やら伝統やら、郷土やら祖父母やらへの愛情とか尊敬とかいうものが思考の根底にあるとは到底感じられない。

わたしは思想の上下左右問わず、そいつが自己犠牲や献身の精神を持っているかで人間の思想的説得力を見る。だから、例えば、1930年代のスペイン内戦でファシズト軍に抗した人民戦線側の義勇兵と、大東亜戦争のアジア解放のタテマエを本気で信じて戦後のインドネシア独立に協力した日本兵とを、まったく同様に尊敬するし、そのことに矛盾は感じない(と、書いてるわたし自身は、到底そーいうものの足元に及ばぬ自己保身だけの小市民だが……)

今日、一見してウヨッキーなあるいはサヨッキーな主張する若い奴に、そーいう、自分ではなく他者のため、という発想を根底においてものを考えてる奴がどんだけいるか?
まあほとんど、自分が今の世の中にむかつくから、敵対するあいつが気に入らないから、という自己愛の延長上の奴ばかりとしか思えない。わたしはそーいうのは、左翼でもなく右翼でもなく「自翼」あるいは「私翼」と呼んでいる。

確信犯の右翼でさえない「サヨク批判ウォッチャー」連中は、タダの自翼ということでは、社民党の壊滅に一役買った辻本清美と変わらないだろうと思う。
辻本らは、自分がいい汗かきたいための自己満足市民運動ピースボートやってる内はまだ良かったが、それがうっかり本気で国政に関わって正義ヅラしだした結果、ちっとも「公」意識の無い人間だという馬脚を現した。

が、辻本が立候補し当選した当時、冷戦体制崩壊以来この方の左翼価値観の凋落で自信を失いかけたてた社民党の年寄り連中は、うっかりそんな辻本らを「こんな若いのに、アメリカや戦前の日本に批判的で偉い偉い。今時珍しい立派な人だ」「これが新しい感性」と思って入れ込んでしまっていた。

翻って『諸君!』誌での「インターネット測候所」の存在は、じつは思想の立場が左右入れ替わっただけで、全く同じことじゃないか? と思えてならない。
つまり、右と左とを問わず、難しい本なんか読む若い奴が圧倒的に減ってるという情勢の基本に関しては社民党領袖と同様に頭を抱える保守オヤジたちは、こいつのことを「こんな若いのに、朝日新聞や中国や北朝鮮に批判的で偉い偉い。今時珍しい立派な人だ」「これが新しい感性」とでも思ってるんじゃないかなあ……と。そうでなければいいけど、だったらそれはとんだ善意の勘違いの買いかぶりだぜ、ってことだ。

かくして保守論壇陣営までもが、末期の社民党同様に、善意の勘違いで自ら取り込んだ自翼というトロイの木馬ウイルスに汚染されないことを祈るばかりである。