電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

絶対にこれはリアルでない、

おかしい、と思えた。そんな、痛覚が無けりゃ、肉体の限界に気付かけず無茶なジャンプや着地とかしちゃうじゃん、せめて痛覚50%オフならわかるが。その辺に、作者の思考の根底にある、肉体嫌悪、精神だけ眼だけの存在になりたいという願望(まさにそれと、そのことへのセルフツッコミが中心テーマなのだけどね)が感じられたというのは皮肉か。
(でもこの作品、架空の近未来ヨーロッパの暗黒街はよくできてた。エドガー・アラン・ポー風というかグランギニョール風味というか。しかし、作者はバタイユを愛読ってのに、ベンヤミンの「遊歩者(フラヌール)」って言葉が一切出なかったのは意外。この言葉が凄く良く似合う主人公だったのに。途中、士郎正宗パクリっぽい部分があるのは御愛嬌)
で、『空の境界』の第三話で語られた、痛覚などというものが何のためあるのかの話は、『ペロー・ザ・キャット全仕事』を読んだ時のわたしの不満を解決してくれたとも思える。