電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ウケやすい時代分析、ウケにくい時代分析

なんで今のネットで見る若い学生とかって、みんな東浩紀みたいなんだろう、というような話になり、つまり、何かを語るのに、自分の趣味対象の固有名詞(アニメとかTVドラマとかゲーム作品とか)を挙げるばかりで、それを幾つ押さえているかの情報量の競い合いになってて、日常自分の身体の周りにあるはずの生活実感や、親や地元とかの上の世代との摩擦が対象にならない――ということかと勝手に考えてみる。
例えばARTIFACT −人工事実− | Invitation10月号の80年代特集

別冊宝島の『80年代の正体!』(執筆:大月隆寛浅羽通明呉智英オバタカズユキなど)に対して、中森氏は「あの連中と対照的な、いまだに有効な仕事が、宮台さんの『サブカルチャー神話解体』です」と言ってますが、あの本でのコンビニやフリーター、ギョーカイ、思想状況の考察というのは、いまだに充分通じるものだと思います。

なんて書かれてるが、わたしも『80年代の正体!』は重要な時代資料的書物だと認めながらも、改めて、しかしやっぱそういうスタンスって、通じ難いんだろうな、と思ってみる。
知的関心のある若い人に「時代を語ったもの」として受けやすいのは、やはり、その時流行っている文学作品やらTVドラマやら漫画やらアニメやらゲームやら事件やらの固有名を挙げて語った言葉なのだろう。
なるほど、「オウム」とか「援助交際女子高生」とか「エヴァンゲリオン」とか「ゴーマニズム宣言」とかいうキーワードの方が、記号としての訴求力が強く、「コンビニ」や「フリーター」や「ワンルームマンション」なんてキーワードじゃ、あまりに身近なものゆえ、漠然としてて、却って自己を振り返る興味の対象になり得ないんだろうな。
……と、既にこういうわたしの感慨も、今の若い人たちには、新人類世代から見ての全共闘世代の言ってることのようなおっさんの愚痴にしか見えないだろうとは思うが、ハハハ、なに、わたしも世代の刻印は免れていないのだよ(笑)