電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

今こそ求められる民俗学的発想の復活

1990年前後、大月隆寛氏が一連の別冊宝島でこなした『うわさの本』『80年代の正体!』『いまどきの神サマ』などの仕事の背景にあったのは、結局、従来あった「常民」が、解体され「ただの受動的な消費者」に(更に現在は「ドキュン」に)なってきていることへの苛立ちだったんだろうな、と再認識。
勝手な印象だが、80年代以降、小松和彦の仕事なんかもあって、民俗学というと、今はなき古の民話や伝承とかを語る学問、ファンタジックなおとぎ話、昔話の世界、というイメージが一部についてしまったような気もする。
しかし民俗学ってのは本来、ごく普通の民衆生活を語る学問の筈だったわけで、つまり現在では、例えば、携帯電話の普及がコミュニケーション像をどう変えたか、とか、100円ショップやドンキホーテみたいなディスカウント屋がいかに庶民にとっての物価の価値観を変えたか、なんて問題が民俗学の対象になるのではないか?
柳田國男の『明治大正史世相篇』を読んだら、それが書かれた昭和初期の時点で「最近の若い人は牛鍋すき焼きというのは昔からの伝統料理だと思っているが云々」なんて文章があったりした。現在が過去になるのは早い。