電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

自戒用覚え書き

何を今さらな話だが、少し前に友人から「大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とない」という話のコピペを教えられ、かなり身にしみた。
(原文はこちら↓)
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asks.jp/users/hiro/62143.html
じつは今年の夏は、なんと三本も仕事を断った。
これには、版元側の都合で刊行や執筆着手が伸びた結果、スケジュールが重なって引き受けられなくなった、というものもあるが、細々とした引き受けられる仕事だけ引き受けてゆっくりした結果がこれだよ!
忙しいのかと言えば、ここ一ヶ月ばかりほぼ以下のような生活を送っていた。
 ・昼前ごろ起きる
 ・中野ブロードウェイ西友に食べ物を買いに行く
 ・新宿区立の図書館を自転車でハシゴして仕事の資料を探す
 ・帰ってダラダラと原稿を書く
 ・が、やる気がなくなるとそのへんの漫画などを読む
 ・夕食のため魚を切って葱を刻む程度のことに一時間かける
 ・風呂に入って一休みする
 ・仕事資料のDVDを観て気づいた点のメモを書く
 ・朝刊配達のバイクの音を聞くころに寝る
毎日汗水流して出勤して働いている人には申し訳ないようなだらけぶりである。
こんなていたらくであるから、40歳も手前にして代表作と言える仕事は完成しない。
以前から『1989年論』というものをやりたいと考えていたのであるが、しばし前、朝日新聞出版の『小説トリッパー』の特集記事で部分的にやられてしまって落胆した。バブル絶頂期で地上げ土地転がしで、昭和天皇手塚治虫松下幸之助も死去で、天安門事件に東欧共産政権総崩れに、そして宮崎勤逮捕の1989年である。
「1989年を本格的に論じたい」と言うと、ほとんどの相手から「それは橋本治がやってる」と返答される。まあ確かにそうだが。
わたしが考えていたのは、当時はスーパーの牛肉が100g何円だったか、というレベルにまで踏み込んで(ちょうどこの時期に日米構造協議で安い牛肉が入り始めたが、それ以前の昭和時代、牛肉はごちそうだった!)、1989年前後と現在で生活環境がどう変わったか、それが人々の意識にどう影響を与えたかを考えるという、柳田國男『明治大正史世相篇』のようなものであった。
ほかにも、農産物輸入自由化と農村の自民党離れ→政界再編、フリーターの増殖、子機付き電話→ポケベル→携帯電話の登場、コンビニとレンタルビデオ屋の普及→消費環境の24時間化……などなど、まさに現在から振り返ったとき、1989年ごろが契機だったと気づくような時代変化のポイントは挙げていけばキリがない。
もし物好きな編集者がいらっしゃれば、いつでも企画構想をお見せします。
なんか、この20年でサブカル界は「逆スノッブ」を脱して「優越感から成熟」へ移ったのか? なんて見方があるらしい。
(参照↓)
http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20090830
この手の論議に意味があるとしても、わたしは「下部構造が上部構造を決定する」と信じて疑わない人間なので、情報商品やオタクの日常空間などをめぐる生活環境の変化という、首から下の部分を視野に入れねばならないだろうという気がする。