電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

楯の会を封印した元防衛庁長官と、赤軍派と対峙した元警察庁長官

……しかし、その後三日ほどしてふと思った。中曽根と後藤田の思考や発想の違いは、ひょっとしたら、この二人の1970年前後の役職、経歴の違いなんじゃないかな? と。
前にも書いたが、中曽根は三島由紀夫楯の会メンバーと共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に切り込んだ時の防衛庁長官で、市ヶ谷の自衛官が三島のアジテーションに乗らなかったお陰でなんとか事態を平穏に乗り切り、事件後、三島を激しく批判した。
楯の会事件で出た死人は、結局三島由紀夫と森田必勝だけだし、まさに三島が期待していた、学生運動に対する自衛隊の治安出動も現実には一度も起きなかった。
一方、後藤田は1969年8月から1972年6月まで、学生運動が最も盛んな時期に警察庁長官を務め、連合赤軍事件を初め、その指揮下で数多くの流血のど付き合いに関わった。
戦後のシビリアンコントロールの建前、防衛庁長官というのは、自衛隊の内部から昇進してなるのではなく、外から就任する。一方、警察庁長官なんてのは、まさに警察内部で昇進して成り上がるものである。
要するに、危機管理とゆーものについて、後藤田の方がよりミクロで現場的な見識を持ってる筈、ということではないのか?
後藤田は重信房子をはじめ、1970年前後に学生運動に関わった人間には相当憎まれているようだが、その後藤田が、だからこそ、ゲリラやテロリストを舐めるな、じっくり取り組まなければ痛い目に遭うぞ、という意味でではあるが、自衛隊イラク派兵や占領統治にも、それを突破口にした改憲自衛隊の正規軍化にも慎重である、というのは興味深い。
もっとも、一般にウケが良さそうなのは、パフォーマーの気質のある中曽根元総理タイプで(三島との対比では三島をロマン派保守、中曽根を現実保守と書いたけどね)、地味な官僚上がりのリアリズムに基づく後藤田のようなスタンスというのは、わかる人にはわかっても、一般には伝わり難いんじゃないか、という気もする……。