電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

娯楽作家こそ広い視野が必要?

先にあげた江戸川乱歩は、初期短編では本郷団子坂の引きこもり青年だった明智小五郎を、爽やかな上流紳士風に変え、その周囲に、良家のブルジョワ子弟の少年探偵団を配置したが、後に、そんだけでは何かが足りないと思ってか、明智に協力する不良チンピラ団なるものを登場させたりしている。ブルーカラー階層の愛読者が馴染めないと思ったのか、なんか妙な責任感であるが、こういう点が、娯楽文学でありながら「全体小説」たるミステリのリアリズムに必要だったのだろう。
高村薫は、巨大企業恐喝という犯罪事件を媒介に戦後の政治経済史を描こうとした『レディ・ジョーカー』を経て、更に広く戦前からの地方政治家一族の物語『晴子情歌』とそのシリーズを見る限り、どこか「全体小説」への志向と野心がうかがえる(それも先例の少ない「女性の視点からの全体小説」ときたもんだ)。
まあ、こうした点をある意味裏切りのように受け止めるミステリファンもいるようだが。
ちなみに、わたしが戦後日本のもっとも優れた「全体小説」と思っているのが、中上健次の『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』三部作である(一見、何の変哲もない紀州の田舎町の土建屋オヤジの興亡記なんだけどね)。
高村薫への中上健次の影響についての自論は、こちらを。