電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

衣食足りて正義と理想を知る

とりあえず『ナ』第三章で、明治〜昭和、日露〜大東亜戦争で徴兵された、エリートの士官将校ならざる一般庶民出身の兵卒たちが、郷里の村々を超えた国家の大儀とか兵営体験で同胞意識を培い(この辺のわたしの過去の自論)、それが戦後、国家とか軍隊を会社や労働の現場に取り替え、そっくりそのまま高度経済成長期の情念を支えた、といった指摘(「鉄人28号」を論じたばくはつ五郎氏の説とまったく同じ!)などは、この手の思想史解説本が、とかく高学歴エリートの視点ばかりに偏重しがちな中では重要だろう。
またさりげなく、日教組的教育からの落ちこぼれの筈の暴走族が日の丸と特攻服を好む現象にも触れている(ついでにこれを昨今の「ネットウヨ」にまで繋げるのは考えすぎかな……?)
やっぱ『ア』と『ナ』は両書併せて読まれることを想定したんだろうなあ、と思う部分は多い。大杉栄は、支那革命への協力などの点で北一輝や右翼の巨頭杉田茂丸とも交流があった点、農本主義コンミューン志向など、両思想は近代的な国家や官僚制度、議会制度をすっ飛ばして、民衆の自発的意志の直接行動とかいう点で案外結びつく、という点が両書で度々出てくる。
すると、現存の国家制度と政権に反するものがとにかく「サヨ」「アカ」「反日」であるという立場に立つなら、浅羽も「サヨ」「アカ」「反日」になってしまうのかな(笑)
で、ヒロイズムという点では『ア』第二章で「黒旗水滸伝」を紹介した章では、左右を問わずテロリストに惹かれる浅羽の趣味炸裂だが、同時にギロチン社ほかのテロリスト達が日常ではいかにダメ人間だったかをしつこく強調することは忘れない。
その論調はキャプテンハーロックを論じた『ア』第九章で如実になる(ちなみにアナキズムの象徴の黒旗は海賊旗がモデルという説は実際あるそうだ。ユベール・デシャン『海賊』(白水社文庫クセジュ)という本によると、18世紀の実在海賊で元貴族のミッソンなる人物は「リベルタリア」という海賊のコミューンを作ったとか)。
地球を捨てた宇宙海賊のカッコ良さと、しかし戦闘以外の時は無敵のアルカディア号の艦内で引きこもりのおたくをやってるに都合良さの両面への指摘は、要約すっと「自由とか言うならそのリスクは覚悟しろ」ということであろう。
そう、『ONE PIECE』のキャプテン・ウソップも言ってた「毎日命はって生きてるから あいつらは本当に楽しそうに笑うんだ」と。
衣食足りて、とりあえず当面、祖国防衛の聖戦も独占資本権力に対するストライキも必要無さそうに見える現代、思想の意義って何ぞや? というと、それが「この覚悟の有無」それによって自己を律することで、別に最初の動機がエゴイズムだから悪いというわけではない、ということなのか。