電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

伝統保守ではなく消費文化保守主義

どうも現在「保守」と言ってる人、それも特に年齢40代以下の人々が保守したい物の中身というのは、つきつめてみると、お爺さんお婆さんから先祖の培ってきた日本の伝統精神やらとかではなく、現状の平和で豊かでお気楽な消費文化(コンビニとマクドナルドとスターバックスとアマゾンドットコムと食玩フィギュアのある日常)のことであるらしい。
今の若い人たちには大東亜戦争を肯定する人が多いようだが、本気で大東亜戦争肯定とかいうなら、アメリカと戦った爺さん達は一切正しかった、その苦労を反故にするのか? となるわけだから、敗戦の産物たる現状の対米従属下の繁栄に甘んじることは否定されねばならなくなる――とはいえ、それは現状の自己を否定することになる。
結局、大東亜戦争を肯定する若い人たちが強固に信じたがってるポイントというのは、「大東亜戦争は欧米白人諸国に対するアジア解放戦争の側面を持っていた」(→アジア・アラブ諸国の反欧米運動は正しい)という点ではなく、「日本軍は占領地民の虐殺やら強制徴用させた上で酷使して死に追いやるやらの恥ずべき行為は一切まったくやらなかった」(→日本は一切正しい良い国、その日本に住む自分も一切正しい良い子)とゆう点のみなのか?
――しかし実際、首までどっぷり対米従属下の平和で豊かな生活(コンビニとマクドナルドとスターバックスとアマゾンドットコムと食玩フィギュアのある日常?)に染まった我々には、大東亜戦争当時の日本軍人がアジア諸国の反米反英独立派の側に立とうとしたように、反米イスラム諸国の側に立つなんて、今さらリアリティがない、と言われてしまえばそれのも確かだろう。
いや、保守と称する側だけじゃない、反権威や革新を称する人間だって、今や、消費文化の爛熟=父権的男根的権威からの解放、という理屈とかで現状の消費文化だけは絶対批判しない人間ばかりで、要するに今の40代以下の人間にとっては表面上の思想の左右を問わず、断固護持すべきなのは天皇でも赤い旗でもなく、とにかく現状の平和で豊かでお気楽な消費文化の快楽であり、それを否定する意見というのはNG、ということらしい。