電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ダダモレ的残虐性

戦時中の日本が残虐行為の類などは一切やらなかったとは言わない。だが、それにはかなりグレーゾーンで残虐行為とも解釈すべき事態が多かったのではないかと思える。
戦時中ビルマ(フィリピンだ)バターン死の行進とゆう事件があった。英軍の(米軍だ)支配地を占領したはいいが、捕虜を収容する気もその施設もなく、かといって、確信犯で敵を虐殺処刑する気もなく、で「こんなくそ暑さの中を、こんな長距離、こんな悪路を無理やり歩かされ続けりゃ死ぬわな」という、事実上の緩慢な処刑(「歩け」と言っただけで「死ね」とは言ってない)を行った、というような話だ。
(ただし日露戦争時と第一次大戦の青島攻撃時は、日本軍もロシア軍ドイツ軍の捕虜を日本国内の収容所に移送し、寛大に扱った。その当時はそういう余裕もあったし、欧米全部敵に回しての無制限戦争でもなかったんで、国際世論と国際法を考慮したのだ)。
これって凄く、日本的な感じがする。
こういう、ナチスボルシェビキの残虐行為を計画的確信犯的残虐行為というなら、ダダモレ的残虐行為とでもしか言いようない事態が起きてきたのは、当時の日本の軍隊が、最終的な責任の所在が、末端の兵士には雲の上の、意志の定かでない天皇という存在に回収されるあいまいなシステムだったとことと深く関係ある気がする。
兵卒は分隊長の命令だからと従い、分隊長は中隊長の命令だから、中隊長は連隊長の命令だから、連隊長は師団長の……で、結局は「陛下のご意志」とか言うんだが、オイ本当か?と。
(しかし一方で、例えばイタリアでは、最後には国王と法王が自ら、もはや国のガンになってしまったムッソリーニの首を切ったおかげで、国民が自らの手でファッショ政権を覆せたわけで、天皇だって存在自体は使い方次第で否定も出来ない)。