電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

弱い者たちが夕暮れ、更に弱い者に萌える

先日おたくの保守性ということについて触れたが、それに関連して、以前からの懸案をひとつ虫干ししたい。
かつてベトナム戦争当時のアメリカでブルーカラーが徴兵逃れのできる学生を憎みニクソンを支持したとか、プアホワイトには公民権福祉政策の恩恵を得ている有色人種を憎む保守反動が少なくないとかの構造とも同じことなのだが、ある種の弱者やマイノリティがそれゆえ平和的民主的かといえばそんなことはなく、むしろ弱者マイノリティゆえに保守反動的強圧的価値観に馴染むという例は少なくない。
――何について言いたいのかというと、オタク男のロリコン志向とか妹萌えーとかいうやつのメンタリティの内実についてである。
要するにこれって、モテへんイケてない性的弱者ゆえに、そんな自分でもどうにかできるか弱い従順な少女を求める、って志向なんだろな、と。
滝本竜彦の『NHKへようこそ』じゃ、主人公の友人のエロゲオタの山崎が、自分達は弱者なんだから、そんな自分らよりもっと弱くて従順で純朴な幼女を求めるのは当然、とか力説していた……この山崎は「ロリコンのエロゲオタ」を極端に自嘲的に戯画化したキャラクターではあるが、おおむね世のロリコン男の潜在的な本音を極論したものだろうとは言えるだろう(しかし、この山崎と引きこもりの主人公佐藤との日常の様々なしょーもないやりとりとか、他人事としてバカにしているという視点ではなく、自分でもしょーもないと思いながらそこそこ楽しんでいるように描かれているのは嫌な感じはしない)
前から思ってたんだが、俺は「妹萌えー」ってのが、なんか、なんとなくムカつく、ってゆうか、理解できん、わけがわからんかった。これがメイドとか看護婦さんとか女教師(職業)が萌え、とか、眼鏡とかショートヘア(外見的特徴)が萌え、っていうのなら特にはムカつかないのにだ(わたしは「長身っ子萌え」である)。
なんで「妹萌えー」ってのに俺は生理的反発があるのか? ……なんとなくわかってきた……ああ、つまりこういうことだ、持って生まれた血縁関係の中で年長なら無条件に慕われ好かれ尊敬される、っていう幻想(無論、みんなそんなもん幻想だと理解して消費してるが、多かれ少なかれ願望ではある)、別に自分が意志的に構築して獲得した人間的魅力とかでも何でもない、根拠のない通俗的な年功価値観にただ乗りしているよーな感じというのが、なんか気持悪いしムカつく、ということだ。