電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

後ろ向きな「自己責任」

とまあ、日本的世間では集団の責任は明確にならないが、それからはみ出した時は、キッパリ「自己責任」が浮上する、というのは皮肉である。先日の話、うっかりわけのわからん組織、場、あるいは教祖に与した人間ってのも、まさに「自己責任」なんだろうが。
世の悪徳商法は、大抵、最後には「自己責任」の原理で「騙された!」と怒るカモを切り捨て逃げようとする。ネットワークビジネス軽急便も、最初にカモを誘う時にはこう言う「『あなたの努力次第では』すごい成功が得られます」。当然そんなうまい話は無い。で、うまくゆかなければ、そいつの努力が足りないのだ、結局損をしてもそれは最初に納得して契約書に判を押したカモの側の「自己責任」だ、となる。
だが勧誘者の側に一切問題がないでもない。勧誘者側は、うまくいかないケース、可能性もあるのを知ってるのに、それは絶対言わない。過去の成功者の成功例やその結果得た財や幸福の話ばかりを聞かせ、人生の負け犬で終わるのかと煽る、それも、勧誘者側の人間しかおらず、客観的な相談相手がいない空間にカモを誘い込んでおいてだ。
理論上は「『努力すれば』成功が得られる」のだから、詐欺とは言わないが、説明責任を充分に果たしていない、良い情報のみを一方的に吹き込んでの勧誘とは、フェアではないだろう。
人間は社会的動物であるから、基本的には、みな組織や集団や共同体に属して生きるものだが、それに与する時には何も言われず、意志的にそれに背を向けた瞬間になって「自己責任」やらが突きつけられる、ということである。今日この国では「自己責任」とは、つくづく後ろ向きな形でしか成立し得ないということか。
逆にいえば、何に与する時にも、まず最後は一人と覚悟しとけ、ってことだな。