電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

世間思考の軍隊のヤバさ

今の自衛隊は戦前の軍隊とは違うが、最終的責任主体が天皇から安保体制に変わっただけで、雲の上というか外部にあり、結局明確な責任になりえない構造は変わらん気がする。
だから、今の状態で自衛隊多国籍軍に与して海外でバンバン活躍しようとすると、例えば以下のようなことが起きるのではないかと危惧するのである。
しばし前に発覚したイラクでの米兵の捕虜虐待は、別に上層からの正式な意図あっての虐待ではなく、現場の下っ端の勝手な行為だった(ということになってる)。で、もし米軍のすぐ隣に自衛隊が駐屯し、同盟軍の兵卒が、そういうどー見ても人道的に問題ある行為をやってるのを目撃してしまったとする。正義感ある自衛隊員が「いかに同盟軍とはいえこれは問題あるだろ」と上官に具申しても、上官は「我々は安保体制の枠組下にある、アメリカ様に文句をつけるな」と、米軍の末端兵卒の勝手な粗相さえも、アメリカの国家政府の公式な意志かと一方的に勝手に萎縮自粛して黙認ほっかぶり……ところが後になって、その事実がマスコミにすっぱ抜かれ、当のアメリカじゃアメリカン・デモクラシーらしく身内と言えど勝手なマネをした下っ端兵卒はしっかり批判され、一方「米軍の捕虜虐待を知ってて黙認した自衛隊」などと非難されるという事態になるのではないか……と。
本来まっとうな「国民軍」であれば、同盟軍といえど、捕虜虐待など明らかに国際法に反する不正行為なら意見してやる主体を持つのがスジである。が、日本人の気質は、下手すっと、頼まれもしないのに勝手にアメリカ様という身内世間に遠慮して、身内世間の外にある国際法とかのもっと大きな普遍的正義を平気を見落とす可能性がなくもない。
そう、責任主体などなく目の前にいる相手に合わせるしかないというのが日本的世間の思考なのだが、日本人は外に出ても外国に対してもこれをやりそうな気がする。
で、その時はまた、大杉栄殺し現場責任者の甘粕正彦のように、自ら好き好んで泥をかぶる奴も出て来て、トカゲの尻尾切りになるんだろうけど……。