電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

風景は知れず変化してゆく

――何をたかがそんぐらいの話、と言われそうだが、わたしが現在の住居に住み出してからのたった10年、既にバブルは崩壊していたが、じわじわ風景は変化している。
・94年当時、落合駅近くに閉店したファミレスがあり、長らく放置されてたが取り壊され、しかしその後、何も建てられず、結局、駐車場になった。
・94年当時、歩いて1分の近所にあったビデオ安売王は潰れて、別のビデオ屋になるも、やはり撤退し、古本屋になったが潰れ(幾ら歩いて1分の店とはいえ、そう品揃えが良いのでもないから、わたしも中野ブロードウェイまんだらけに行ってしまう)、ただの不動産屋になった。ハッキリ言ってこの近所は、何の店を出してもはやらない。
・同じく歩いて1分の位置にあった個人経営の文具屋件本屋(婆さんが一人でやってるような店)も潰れて取り壊され、この跡に何も建たず、ただの駐車場になった。
西武新宿線新井薬師駅の近くにあった銭湯が一軒潰れ、マンションが建った。
・近所の小さいバーが潰れ、これも小さなマンションになった。
落合駅斎場付近の築30年以上らしい木造アパートの幾つかが潰れ、駐車場になった。
――実は、これらの変化が、それぞれ何年前だったか、明確に思い出せない。考えてみると怖いことだ。ひとつ言える傾向は、個人経営の小店舗と、個人邸宅は潰れ、ただのマンションばかりの、半端な住宅街になりつつあるということである。
そう、最近、やけに「上高田で新しいマンションが出来たのですがご興味は?」という電話が、複数の不動産屋からよく掛かってくる。そんなにマンションばっか建ててどうすんだ? と、思ってたら、すぐ裏手の土地に大きな変化があったのに気づいた。
中野区落合上高田というのは、じつは不思議な土地である。目ぼしいスポットは、落合斎場とお寺と墓地、中学校、あと、妙正寺川沿いに建ってる14階建てのでかい古いマンションぐらいである。古い民家らしきものは少ないか、と思ってたら、わたしの住んでる木造ボロアパートのすぐ裏手、中学校と14階建てマンションの間に、幅50メートル×100メートル程度?の林がある。林っつっても、向こうの道路が見えるような本当に狭い場所なのだが、その林?の中には、なぜか、やけに旧い木造平屋建て家屋が20〜30戸ばかり建ってる、この平成の世に?というような変な空間で――そして、なぜか、いや、実は何の関係も無いのかも知れないが、共産党のポスターが多かった(社会党公明党も)。
10年前にこの近所に住んで以来、この一画がなんなのかはまったく謎だった。近所は火葬場に寺に墓場に学校……ここは「路地」かマラブンタ・バレーか? ……いや、興味本位での詮索はほどほどにしよう――どっちにせよ、ほんのつい先日、この奇妙な一画の木造平屋建て家屋群が一掃されてるのに、今さら気づいたのだ。え?いつの間に、いや、もう何ヶ月も経ってるはずだ。土地は都のものという立て札が立ってる。立ち退いた住人は新築の都営住宅にでも引っ越したんだろうか……。
――20年ばかり前、福岡市に隣接する炭鉱跡地に住んでいた当時、自転車で博多駅まで来る途中、駅のすぐ側の河原に、奇妙な一画があったのを思い出す。同じように、木造平屋建ての小さい家屋が延々河沿いに続いているという地帯だった。終戦直後のバラック家屋の名残かと思えたが、それにしても、福岡市博多区のど真ん中、博多駅のすぐ裏手にこんなものが?と思ってたら、数年後にはまったく消えてなくなってた……。
とにかく、放っとくと、その土地固有の歴史を背負ってたはずのものはいつの間にか消え、どこにでもある、顔の無いマンションとかに変わってしまう、ってわけだ。
2004年秋、わたしはひょっとすると、中野区の歴史の小さな変化を見たのかも知れない。