電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

1周年で、また同じネタ

丸一年前の日記にも書いたが、11月25日は三島由紀夫が割腹自決した楯の会事件の日(今日はこのネタ書く人多いみたい)
しばし前、自衛隊のクーデターを扱った『皇帝のいない八月』TSUTAYA半額で借りてきて観たのだが、同時に借りてきた『新幹線大爆破』が、思想の左右関係なしの「負け組の逆襲テロ、その末路」というテーマでは時代を超えて通用する娯楽大作と思えたのに、こっちは、70年代当時の「自衛隊のクーデター」という題材への認識が、なんか現代では完全に通用しそうにないのに途方に暮れる。
憲法改正を唱える自衛隊の急進タカ派より、安保体制のぬるま湯平和と経済立国維持の現自民党政治家の方がよほど上手で悪辣でした、ってオチは別に良いのだが、渡瀬恒彦自衛隊青年将校は、登場した時はやたら格好良かった割に、その思想がよくわからんかった。
渡瀬の青年将校三島由紀夫の影響を受けてたらしいが、それなら、安保体制破棄、経済的豊かさより独立国のプライドで自主防衛、皆で貧乏を分かち合う国家社会主義統制経済路線なのかと思いきや、そのバックにいるのは経団連のお偉いさんとつるんだ金権腐敗政治家みたい奴で、更に、アメリカのCAIが武器やらを援助してたとかいう設定になってるのは矛盾としか思えない、要するに渡瀬の青年将校は、利用されて踊らされてただけだったのか?さえ勘ぐったが、そういう感じでもなかったし、とにかく「右翼、タカ派軍国主義=自由、平等、平和の敵」ということで、資本主義万歳政治家もアメリカも自衛隊もごちゃまぜにしてるように思えた。
ただ、列車をジャックした決起自衛官の顔の緊張感はリアリティあった。今なら、へ足すりゃ自衛隊の方が大真面目に人命尊重を言いそうだが、かろうじてギリギリ、やむをえず必要とあれば本当に民間人も撃つ顔だ。これは自衛隊が日陰者だった時代を感じさせる。
いつの間にやら世論は、憲法改正さえウヤムヤ容認になりつつあるんだから、この映画から25年、自衛隊日陰者状況は好転したとはいえそうだが、現体制の多数が考えてるのは、あくまで、日米安保体制下、アメリカの後押しの枠内での自衛隊の活動拡大であって、三島由紀夫の志とは大きく似て異なる……って、ちょっと待て、すると、上記の渡瀬恒彦の矛盾したような決起将校の背後関係は、実は今こそリアルなのか???
――ようわからんが、とにかく、70年代末と現在、ある意味では大きく変わり、ある意味では以前まったく同じ、っつーことなのか、と、無理やりまとめる。