電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

普遍文化?としての身内意識

ところで今さらながら、前号の『SAPIO』で、アメリカのネオコンだのフリーメーソンだの、世界の秘密結社特集をやってた(寄稿者にはしっかり越智道雄氏の名前が、やはりこの手の記事にはこの人選は当然か)が、その時考えて、忙しくて書けなかったことなど。
フリーメーソンをはじめとする欧米の秘密結社の特徴は、芝居がかった「入社式」にある(古くは中世のテンプル騎士団だの、近代初頭の炭焼党(カルボナリ)だの、儀式は象徴的に「死と再生」の形式を取るのがお決まり。澁澤龍彦『秘密結社の手帖』参照)。これは歴史的に、ユダヤキリスト教文化圏が「唯一神と個人との契約」という形態を取ってきたためだろう。また、三合会など中華・儒教文化圏の秘密結社は、義兄弟のような擬似的血縁の盟約の形式を取る、これは血縁主義、姻戚閨閥文化の産物とみるべきだろう。
――で、同特集の最後には、日本ではなぜそういう結社の類が栄えなかったのか? という疑問が出てくる。わたしが勝手に思うに、ひとつは、日本には入社の儀式を必要とする結社など作るまでなく、阿部謹也先生言うところの世間文化が根強いからではないか。
 越智先生も書いてたが、アメリカでロータリークラブからKKKまで多様な結社が盛んになったのは、移民によって造られた人工国家で、土着の地縁や血縁による助け合いの共同体の基盤がなかったから、その代行物という意味合いが大きかったらしい。日本では、同郷出身の地縁だの、学閥だのが、もとより充分に暗黙のうちに普及している、それがあまりに空気のように蔓延しているゆえ、今さら人為的に芝居がかった入社の儀式を行う結社は(某カルト教団のような一部を除いて)はやらない、ってことじゃないのかな……
SAPIOの同特集中、フリーメーソンのバッヂをつけて海外に行ったら、パスポートを紛失してたのに、同じくメーソン会員の空港係員が、バッヂを見ただけでいろいろ便宜を図ってくれた、というエピソードが紹介されてた。こういうのを読むと、単純に「ああ、やはり秘密結社のネットワーク団結力は凄い」とか思いそうになるが、ふと考えた。メーソン内部に「メーソン会員同士なら、見ず知らずでも、何があっても助け合うべし」という規約が明文化されてるのかは知らない、そりゃ中には、名目だけの加入で、不真面目なメーソン会員というのもいそうだ(何しろ、東南アジアでは商売上有利だからという理由でメーソンに加入する例もあると聞く。実際、もとはギルドなんだから)、件の空港係員は、べつに組織上層の命令や規約に従って行動したんじゃなくて、自発的に「俺は会員だから、見ず知らずでも同胞は助ける」と思って行動したのかもしれない。そう考えると、案外これは別に、秘密結社ゆえのネットワークなんて大それた話でなく、人間の心理と行動としては、よくある話ではないか、と思うわけだ。
しばし前、友人の後輩のバンド青年が上京してくるというので、住むアパートを探してやろうかと不動産屋めぐりをした。ある不動産屋には閉店まぎわに駆け込み、当初閉口されたが、事情を話したところ、「へえ、その人どこから上京してくるの?」と聞かれ、答えたら、たまたま不動産屋の店主と同郷で、途端に店主はじゃあと好意的に接してくれた。当然、その店主は(多分)メーソン会員なんぞでもなんでもない(笑)
96〜97年頃だったか、岡田斗司夫がよくテレビに出るようになったばかりの時期、彼のWebサイトの掲示板には「今日も全国の同志に秘密のサインを送ってくれるのでしょうか」とか、そんな書き込みがあった。実際、普通に喋りつつ、こっそりと何か「わかる奴にだけわかる」ネタを見せたり話したのかも知れないが、無論、そんなことをやってたとしても、ただのお遊びである(そういうことをしたくなる気持も理解はできる)。
カルト宗教団体にせよ、悪徳商法にせよ、とにかく組織のボスが悪い、構成員は洗脳されている、という単純な見方がよくされるが、秘密結社的なものを成立させるのは、組織指導者のカリスマとか、鉄の規律もさることながら、個々の構成員の自発的意思だ(それは、誰もが普通に持つ、場からの脱落・孤立の恐怖と表裏一体になっている)――と、このように考えるなら「秘密結社的なるもの」は、まったくの異物、他人事、ゆえに何か怖いカルト的な物、というわけでもなく、理解できるのではないか、とも思うんですが……