電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

世界の広さはどこに生まれたかで変わる

確かAERAも『東京地元女vs地方出身女』なんて特集記事をやって、「見えない格差」について触れてたが、「これは地方在住者、地方出身者への冒涜だ」「いや、私は地方在住だが全然都会人より充実しているぞ」など反論も多数あったとか。
我が身を省みて、自分の友人で、高校を卒業してずっと地元にいる奴と、東京に出てきて10年以上経つ自分を比較する。
結局、何が違うって、高校卒業後の人間関係の幅が広がる可能性の有無だと思うのだ。
地元の友人と電話で話すと、いまだに高校時代の友人同士でくっついたのケンカしたのという具合で、「なんて世界が狭いんだ」と呆れかけるが、いや、そういうものなのだ。
就職しても同年輩の人間は少なく、たまたまその職場での年長の人が「大人の基準の手本」の全部になってしまう。
こういう場では、職場でも、高校の同窓の友人連でも、ある少人数の集まりが世界の全部になってしまい、そこから脱落すると、一気に極端な孤立に陥る危険がある。
確かに、自分の知ってる人間で、地方在住だが社交的で文化的豊かさを感じさせる人もいるんだが、やはりそれは、親の代から、ある程度の資産と教養あっての場合だ。
わたしなんぞは30代も半ばになっていまだフリーター気分が抜けず気楽な物だが、そりゃ東京にいさえすりゃ、仕事にありつく契機も、人間関係を開拓する契機もごろごろ転がってるからなんとかなる、というナメた思考が身についてしまっているせいである。
さりとて「みんな東京に出て来い」で済むかというと、そんなわけにも行かず、じゃあどうしたら良いのか……結局、頭を抱えるよりない。