電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

数値化し得ない人間関係

何を今更ながらホリエモンのフジ買収工作の件について。
堀江貴文は建前上、合法な民主的手続きに沿ったとは言える。株式議決権の多数を押さえれば経営権は俺にある筈、そう、これは多数決だから民主主義的におかしくはない。
しかし、フジ、ニッポン放送内部からの生理的反発は大きかった。
中島みゆきも和田アキコも、他多くの芸能人がホリエモンに反発を示した。これってどういうことなのか?
テレビ、ラジオに限らないが、マスコミ業界では、出版なら編集者と作家、テレビ、ラジオならディレクターと出演者、とか、結果的に「○○社と仕事をする」ということになっていても、実質「○○社の××さんと仕事をする」という形で、その「○○社」より「××さん」の方に比重が大きかったりもする。
週刊少年ジャンプの編集者が新潮社の資本で出してるコミックバンチ北条司原哲夫が描くのは、出版社ではなく、編集者との付き合いがあるからだろう。
堀江は金と株は持ってても態度が横暴だ、とかいう意見は、これも間違ってないけど、建前論でしかない。
マスコミ業界関係者はそろそろハッキリ言うべきです。フジサンケイは保護されて……もとい「マスコミ業界はコネで回っているんだ」と。
金と株で経営権は正当に握ってても、人脈面識の無い人に乗り込まれれば反発は起きる、そういうことだろう。
確かに、コネと言えば言葉は悪い。しかし、文化事業なんてのはドメスティックなもので、結局、編集者とかディレクターの個人の人を見る眼と作家や出演者との個人同士の信頼関係が、出版でも映像でも文化の質を創ってきた側面は否定できない。
文藝春秋社を興した菊池寛なんてドメスティックそのものな人だよ、自分が書きたいこと書くため雑誌を出したわけだから(笑)
それに、これは広く考えればマスコミには限らない。
例えば、物流の世界では、店舗によって仕入れ値を変えて値引きする場合がたまにあり、これはメーカーの営業担当が「ここの店舗なら確実売ってくれるから、大量仕入れする分値引き扱いにする」とかって決まる物だが、こういうのは、店側の販売実績もさることながら、「××さんなら任せられる」というような、営業担当と店舗側の個人対個人の信頼関係で成り立っているものだったりする(だから担当が変わると対応も変わるものだ)。
わたしも結局、人脈で仕事を得ている。しかし、それは、幸運に助けられた側面も強いが、その最初の部分は自力で開拓したものだという自負もある(ここも東京と地方の大きな前提差だ)
さすがに、ホリエモンが球界参入を図った時、ナベツネが「私の知らない人を入れるわけには行かない」と言ったのに「なんだこの、巨人軍だけでなく球界全体を私物化するような言い草は?」と堀江に少し同情したけれど、物には順序がある。
たぶん堀江は、まずどうにかナベツネと接点を作って、信頼を得ておいてから「ところで、僕、球界に参入したいんですが」と言うべきだったのだろう。
それこそ、まだるっこしい、裏口入学みたいなアンフェアなやり方のようにも思えるが、文化事業というのは、金融業や証券業とは違うんだから、どうしてもこういうややこしい手続きもある。
昔の芸者花魁だって、金だせばすぐヤれるというものではなく、まず馴染みになる段取りをいろいろ踏むというのが通人、粋人の遊び方とされた。
大体、そもそも文化とは無駄そのものなんだから。
それにしてもよくわからないのが、ホリエモンは、かつては2ちゃんねるを買収しようとしたり、既存メディアの「器」を手に入れたい意志は強いようだが、「中身」にはどんなヴィジョンがあるのだろうか?
かつてバンダイガンプラで儲けた金で映像事業に乗り出した時、野心に燃えた最初期のガイナックスが熱い企画書で八億円もの制作費を引き出して『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を撮ったみたいに、誰か、ホリエモンから金を引き出して、バカな大作映画を作ろうとかって人は出てこないのかなあ……