電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

再犯者の心理

奈良の女児殺しんぶん配達員小林薫は「反省も更生もする気ない」とほざいたそうである。

社会ニュース - 4月19日(火)2時49分
奈良女児殺害初公判 小林被告「第二の宮崎勤宅間守に…名を残したい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050419-00000002-san-soci

この手の犯罪者によくあるパタンで、とっ捕まってから途端に、自分はいかに可哀相な経歴の持ち主でアダルトチルドレンでだから子供殺しをしたのは社会への復讐だ云々と抜かすよりは、まあ潔いかも知れぬ。
が、それでへそ曲がりな連中が、こいつの大物犯罪者気取りを、現世的道徳を平気で乗り越えた凄い奴、とかナントカ、逆に英雄視するようになったりしたら、それはそれで、何かムカつく。
「殺人を行って平気でいられる=凄い俺」とかいうなら、小学生なんか殺してないで、例えば、スーパーフリーの和田を道ずれに自殺するとか、薬害エイズ安部英を道ずれに自殺するとか、国士館大学サッカー部員を全員殺して自殺するとか、ぐらいしてみろ。
――しかし、考えてみたら、大物犯罪者気取りの小林も、件の声明(?)を行った以外には、普通に、狭い拘置所内の独房で、朝起きて、点呼を取らされ、飯食って、課業に就かされ(他の収監者から噂話を立てられたりして)……というような、何の変哲も無い散文的日常を送っている無力な一収監者のはずで、そういう時の彼は、所詮普通の人であり、そんな散文的日常の中で、精一杯「俺は普通の奴とは違う」と背伸びした強がりを言っているのだと見なせなくもない。
だが、鬼畜小林がなんでここまで、自分で自分を「俺は悪党だ、凄い悪党なんだ」と居直ってわめかざるを得ないキャラに作り上げたかの過程を想像してみると、複雑な気分になる。
小林は過去にも、未成年者への性犯罪の前科があるそうで、先頃再犯逮捕された、1988年の女子高生コンクリート詰め殺人事件の元少年(現在33歳、俺や小林と同年代…)の件と並べて、そういう人間の前科はすぐわかるようにすべきだ、という論議があった。

社会ニュース - 3月1日(火)11時26分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050301-00000079-kyodo-soci
監禁、暴行の男懲役4年 コンクリ殺人の元少年

しかしだ、小林にしても、女子高生コンクリ詰め事件の元少年にしても、うっかり10代の早い段階で、自分で自分のキャラを「ああ俺は犯罪者なんだ」と決め付けざるを得なくなりすぎたがゆえに、それ以外の犯罪者でない、普通の人としての自分の人生を想像することもできず、結局、その道だけでしか生きられなくなってしまったのではないか?(そんな人生、何が良いんだよ、バカ)
女子高生コンクリ詰め事件の元少年は、少年刑務所で情報処理などの技能も取得し、少年刑務所を出所後、しばらくは、まっとうに社会に定着しようと努力したらしい。しかしどうしてもどこでも自分の過去がバレて白眼視され、むしろ自分から(まるで反省の色なく)その過去をネタとして吹聴し、暴力行為を繰り返すようになったとかいう。
そんなもん、黙ってりゃ良いものを、と言われそうだが、まあ、まともに就職しようにも、履歴書にはごまかしようなく、職業資格をどこで得たかを記すためにも、少年院に入っていた期間のことを書かざるを得ず、それだけの長期間少年刑務所にいたということは、軽い傷害罪程度のわけはなく、じゃあ殺人……? と必然的にバレる、ということだったのかも知れない。
だが、小林にしても、女子高生コンクリ詰め事件の元少年にしても、彼らはやはり愚か者である。
なぜなら、一度手を汚して社会から烙印を押された人間にとって(それは、仮に半分は社会の側が厳しすぎたということであっても)、自分で自分を「しょせん犯罪者の俺」と決め付けきってしまうことは、楽なのだ。
彼らは「『しょせん犯罪者の俺』でない俺」を想像し、創り出すこと、自分で自分を変える努力をサボったのである。
『架空世界の悪党図鑑』執筆者の一人として言わせて貰えば、そんな奴は、間違っても「現世的道徳を乗り越えたカッコいい悪のヒーロー」などではない、ただの怠惰で無力な小悪党だ。
――以上、無責任な傍観者として他人事を書いたつもりはない。不起訴とはいえ、わたしも前科はイロイロある身なのでね……