電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

日本人は何ひとつ変わっちゃいねえ。バカ。

以上が日本人が野蛮人だった遠い昔の話だなどとは思わない。
JR西日本福知山線脱線の大事故を起こした後、とってつけたように企業体質の批判が噴出したが、随分叩かれた日勤教育だの、以前から内部では不満があったはずだ。
んが、明確な上位下達の社内独裁制があるわけでなくても、下っ端には文句を資格はなし、という空気だったんだろうなあ、ということは容易に想像がつく。正式な命令じゃないが、暗黙のプレッシャーというやつだ。
事故直後にボウリング大会をやってた件は相当なバッシングを受けたが、後で偶然知った事実ながら、鉄道業界というのは土日などの決まった休みが取れず、代わりに社内レクリエーションを充実させるというのが伝統らしい。
(3分刻みの過密スケジュールで、毎日満員電車を動かして休みなく働いて、たまの社内レクリエーション大会じゃみんな揃って汗を流して笑う……ってのが古典的な日本の鉄道会社の美風だったんだろう、恐らく)
が「全員参加」が明文化されて義務づけられてるわけでなくても、出席しないといけないような雰囲気がある、出席しないと上司に嫌われるかも知れない、というかミもフタもなくなく言って、その時のその「場」から仲間はずれになって脱落するかも知れないような恐怖感から参加する、というような意識は、ことJR西日本だけの専売特許でなく、そこいらの日本企業にはいっくらでも転がってるんではないか。
当然、事故車両に乗ってた社員に「事故に遭った乗客を救助するな」なんて公式命令は出ていない。が、社員は救助しなかった。彼らはただ、個人としての倫理観に基づく判断より、その日の社の業務を優先して、命じられていない事はしなかっただけだ。
――戦後60年経ってこれである(!)、それが今より遥かに「集団の無言のプレッシャー」がきつかったことが想像に難くない戦時中のことを考えてみろ?
ある意味じゃ、沖縄で村民に集団自決を命じざるを得なかった奴も、被害者だ。だが、そいつらにも責任はある。逃れられん責任がな。
以上はすべて、特定の時代の、ごく一部の、極端に異常な軍隊や、極端に異常な企業という「どっかの誰か」の話じゃない、今日本に生きてる俺ら自身の話だ。