電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

史料バカには「人間的想像力」という薬をつけろ

社会ニュース - 6月20日(月)2時51分
吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き
 戦前戦中の旧日本軍の行為をめぐっては、残虐性を強調するような信憑(しんぴょう)性のない話が史実として独り歩きするケースも少なくない。沖縄戦の際には旧日本軍の命令により離島で集団自決が行われたと長く信じられ、教科書に掲載されることもあったが、最近の調査で「軍命令はなかった」との説が有力になっている。
 松井さんは「戦後、旧軍の行為が非人道的に誇張されるケースが多く、手首斬りの話はその典型的な例だ。しかし私が知る限り、当時の軍人にもヒューマニティーがあった」と話している。

手首斬りの話は、確かに吉田氏の誤認かも知れぬとして、それはそれとして……
阿呆か。
「現地住民は自決させろ」だの公式文書で命令するわけねえだろ。
しかしだ、敵が迫ってきて(自分らには)邪魔でお荷物の民間人を抱えてりゃ、苦渋の末に現場の判断で「誠に申し訳ないが、自決して頂ければありがたいのであるが」など言い出す隊長の一人や二人、いたとしてもおかしくはない。
その「要望」(タテマエ上「命令」ではない)を聞いた村長さんなり学校の先生なり父親は、天皇の権威を背負った軍隊の無言の重圧によって、逆らい難い命令だと(半ば勝手に)受け止めて、村人なり学校生徒なり子供なりに、わけもわからず一緒に死ねと命じる、殺されそうになった子供には理解不能、生き延びてから「ありゃ軍の(恐らくは、小隊長とかレベルの)命令だったらしい」と要約して聞かされりゃ、死ぬかという鮮烈な経験の後だ、ああそうなんだろうと思い込む……俺は今過分に憶測で書いてるが、そんなもんではないか、という気は濃厚にする。
つまり
・「申し訳ないが自決して頂けると助かるが、ご自分の判断に任せる」
→「『自決して欲しいなあ』と言われた」
→「『自決しろ』と言われた」
という伝言ゲームだ。
要望した側も、言い方はやんわりした要望(タテマエ上、命令ではない)でも、要望すればどうなるか、腹の底ではわかってただろうし、その上での要望だったろう。
現場レベルでは、そりゃ、沖縄でも、満洲引き揚げ時の関東軍でも、住民を守ろうとしたご立派な軍人さんも中にはきっといたさ、が、それを見殺しにして我先に逃げ出した軍人もいたろう。それは個々の人間の資質にもよるだろう。だが大体そんな土壇場の混乱状況で、公式な命令なんか末端まできちんと伝達されてるかっての。
しかも日本人は、良くも悪くも、集団の無言のプレッシャーというものがあれば、明文化された指示がなくても勝手に動く民族だ(良くも悪くも、だ。その自発性が、幕末から明治、草の根レベルでの近代化を大いに助けた一面も大きい)。