電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

戦争を語れば日本人論になり、日本人を語れば戦争論になる

――と、以上のようなことばかり、この一ヶ月ばかり、畏友ばくはつ五郎氏(id:bakuhatugoro)と語り合っていた。というか、畏友五郎氏の仕事上の話を聞いてたら、自然、そんな話ばかりになった。
彼がやってたのは何かというと、笠原和夫脚本『大日本帝国』『二百三高地』ほかの映画から、「日本の戦争」を読み解き直す作業である。
その仕事の結実成果の一端が以下である。

http://www.toneunderground.com/
2005.6.27、新雑誌「TONE(トーン)」創刊2号、全国書店にて発売!

脚本家笠原和夫がその戦争映画作品において、手を変え品を変え描こうとしてきたのは、「責任」の問題である。
大日本帝国』の中で篠田三郎演じる帝大学生の江上は、当初戦争に反対しつつも、徴兵されるのではなく自発的に将校となり、本意ではなかったものの民間人の虐殺に携わり、BC級戦犯となる。
ここで「俺はやりたくなかった。『みんな』やってるから従っただけだ」と言うのはたやすい、実際、そう言いたい心境だったろう。だが、彼は判決を受け入れて処刑され、ラストでこう唱える。
天皇陛下、お先に参ります」
この言葉の意味するものは、彼が最後まで忠君の犬だったということか?
それは、よろしければ同記事を一読の上、皆様で考えていただきたい。
同誌では、この辺の問題について、わたしも微力ながら幾つかの記事を書いている。
日本本土で唯一地上戦を体験し県民の三分の一を失った沖縄出身の上原正三の戦争体験インタビュー「ウルトラマンは助けてくれない」を執筆。
さらに、戦時中は「天皇陛下万歳! 大日本帝国万歳!」を唱え、戦後は「マッカーサー万歳! 民主主義万歳!」にへろりと乗り換えた模範的日本人「町内会長のおじさん」にスポットを当てた、株券しか愛せない御仁には一読して頂ければ光栄な『はだしのゲン』評、読めば右も左も激怒まちがいなしの『火垂るの墓』評ほか、問題原稿目白押しだ!
本当は月曜日まで待とうかと思ってたが、このブログ、なんかちょうど今注目が集まってるから、いい機会だ。
まあ、こう書けば単なるこじつけ宣伝のようにも思えるかも知れぬが、この一ヶ月、ずっとこの辺の問題ばっか考えてたわけだからな。
っつーわけで、剋目して待っていただければ幸いなり。よろしく。