電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

破滅は緩慢なものほど恐ろしい

先週の深夜、たまたま12chで『復活の日』をやってたんで、仕事しながら見てたが、ああ、当時は、細菌やら核兵器やら、こういう終末論イメージ隆盛だったなあ、と、ガキの頃の世代的恐怖感を思い返させられた。
劇中、漏出した細菌兵器による疫病が「イタリア風邪」って呼ばれてるのに時代を感じる、ずばり、大正時代に流行した「スペイン風邪」のイメージなわけだ。
現実に、一頃は「世紀末黒死病」と呼ばれたエイズの流行はその直後の話。惜しい。
まあ、このネーミングは原作の小松左京の世代的センスだったんだと思うが、ふと奇妙な連想が働く、そういえば、今やSFの古典、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』では、19世紀産業革命時代当時の地球人の最新テクノロジーを圧倒する火星人が、風邪のウィルスによって死滅するが、これって、ヨーロッパ人には、蒙古人の西征と並ぶトラウマの、中世期の黒死病のイメージだったのかも知れない。
それにしても、日本国内ではバタバタ病で人が死に絶える中、絶望気分に陥った看護婦が子供を連れて「一緒にお父さんのところに行こうね」と海へ出てゆくという場面が、『大日本帝国』とまったく同じなのに驚く! これは恐らく監督の深作欣二のセンスではないか(『大日本帝国』の監督は舛田利雄だが)。
今にしてツッコめば、えらくあっさり人類滅亡しすぎ、ウソだろ、ってなもんだが、クライマックスで、核の炎で世界が吹っ飛ぶ間際に「ライフ イズ ビューティフル」なんて言ってる場面は、今さら、あれ、これが新井英樹『ワールド・イズ・マイン』の元ネタかよ、と気づいてみたり。
しかし、改めて思ったが、本当に怖いのは、細菌や核による世界同時破滅の死の恐怖より、避けられない死がヒタヒタ迫ってくる中での、マス・ヒステリーだろう。
劇中ではさらりとしか触れられてないが、現実にそんな疫病が蔓延すれば、感染者は隔離され、ワクチンができないことに焦って暴動でも起こすだろうし、一方、未感染者は感染者を恐れて虐殺が起きるかも知れない……まるで永井豪デビルマン』原作版の悪魔狩りみたいな話だ、その恐怖は改めて強く思い出してしまった。
その後の80年代に流行した『AKIAR』だの『北斗の拳』だのの終末後の世界を描いた作品は、既に従来の社会秩序が崩壊しきった後、暴力の支配する世界、ってわけで、深作欣二が好きな焼け跡の無法地帯(と書いて「ユートピア」とルビを振る)のように抜けが良い。
が、そんなわかりやすい文明世界の全面崩壊も、その後の無法世界も来ず、中途半端に崩壊と頽廃と、しかしその中で従来の豊かな文明生活にしがみつく人々の見苦しい争いなんぞのある世界の方が、よほど、リアルに嫌ぁ〜な感じがする。
細菌や核なんて大それた仕掛けは必要ない、例えば、今の日本は、輸入が止まれば、何ヵ月後かには、徐々に文明生活が崩壊してゆくことになる。まあ、米の自給率だけは100%だからすぐ死に絶えることはないが、数々の文明の利器は、徐々に使えなくなってくだろう。
そうなった時、わたしは元からこんな生活だから(笑)、毎日風呂に入れない、河原で捕まえた蛙でも食う、ぐらいは我慢するが、そんな生活はプライドが許さないッ!! って人間も少なくあるまい。ことに、今の日本の快楽主義消費文化が骨の髄までメンタリティに染み込んだ、グルメ、リゾート高級ブランド品大好き女子(女子全体の何パーセントかは不明だが)とかは。
仁義なき戦い』のシリーズ最後の方では、既に焼け跡の貧困はなくなってたが、「カラーテレビが欲しいから」(注:つまり一応、既に白黒テレビなら持ってる)という理由で暴力団に入って手柄を求めて殺人を犯す若者が出てくる。
それと同じよーなもんで、荒廃はしても、まあ我慢すりゃ生きられる世界で、彼女が「フォアグラが食べられなきゃやだ〜」とかうるさくせっつくから人殺しする奴なんかが跋扈する世になれば、そっちの方が、核の炎一発で世界崩壊より、よほど嫌だよな、と思うばかり。