電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

地元びいきについて(覚え書き)

月刊『論座』が愛国心についての特集記事をやっていた。
国家に対する愛国心とは、ある程度、近代以降の人工的な物かも知れぬが、多くの場合「地元びいき」意識は自然な感情だろう。
よく言われることだが、高校野球のシーズン、自分が福岡県民なら、まず(たとえ県内の縁もゆかりもない土地の高校でも)とりあえず福岡県の高校を応援する、それが敗退しても、鹿児島なり熊本なりの九州の他県勢が残っていれば応援する、だが九州勢も全滅となれば、あと四国や中国地方あたりの広義の西日本勢まで応援する人は少ない。
ところでわたしはひどく「地元びいき」意識が欠落した人間だった。
これは小学校二年までほぼ標準語を話す土地で育ち、以後九州の小学校に転校してきても、なかなか地元の方言を話そうとしなかったことと関係ありそうだ。わたしは当初「ホーゲン」というあだ名を貰った。こっちこそ標準語なのにおかしなものだと思って、いちいち「『ヒョージュンゴ』と呼べ」と反論してたが(←嗚呼、なんて生意気でムカつく屁理屈ガキだろう、当時の俺!)転校した先の学校の生徒は皆、自分の地元が基準で物を考えている。
皆、自分の生まれ育った土着のものに親しみを持つのは当然で、変なのは常に相手のほうだと考える。これは別に差別意識というほどのことでもなく、ごく自然な感情である。
さて、一部では、いわゆる嫌韓厨というのは引きこもりの社会脱落者が憂さ晴らしで差別発言をしているものだと矮小化されているが、そんな簡単な話なら苦労はしない。まともな学歴と職業と収入があり、ごく普通に社会に適応していながら、平然と悪びれず差別発言をする人間だって大量にいる。そういう人の「自国が正常の基準、隣国は変」という意識というのは、恐らく、ごく自然な地元びいき感情の延長上にあるものなのだろう。