電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

俺は「客」ではあっても「ご主人様」ではない

資本主義消費社会はあらゆるものを商品化してきたわけだが、どうやら最後の商品が「人間関係」らしい。
実際、昨今、前提としてはまあ衣食足りたうえで、「非モテ」やら「異性からの承認欲求」やら何やらがなんだかオトコ共の最後の社会問題になってるようだし。で、どうも、彼女が欲しいというのは、単純な恋愛願望や性欲の問題ではなく、自分の個人としての人間的存在価値とかそういう問題に関わってるらしい。
なんか「らしい」ばっかですみません。でもやっぱ「女を紹介します系」スパムが膨大に横行する背景は、そういう空気を確実に反映してるんだろうなあ、と。
最近、メイド喫茶というのが話題になってる。
なんか知らんが、やけに「自分は別に本物のアキバ系のオタクじゃないけど、話のネタとしてメイド喫茶というものに行ってみた」と称する話をよく目耳にする。
で、そーいうのを見ると、メイド喫茶の中には、客が来ると「いらっしゃいませ」ではなく「お帰りなさいませ」と言う店があるらしい。
なるほど、メイドとは本来、金持ちのお屋敷なんぞに勤めるものである、メイド喫茶に来る客は、その金持ちのお屋敷の住人の気分を味わいに来るのだろう、そこで「いらっしゃいませ」では普通の喫茶店のウェイトレスと変わらん、屋敷の住人に対しては「お帰りなさいませ」となるわけだな……という理屈はわかるのだが、山賀博之が監督してるからという理由で『まほろまてぃっく』なら観てるわたしでも、初めて来た店で「お帰りなさいませ」などと言われるシラジラしさには何か抵抗を感じてしまうよーな気がする。
いや、これが即物的に「女の子にえっちぃサービスをしてもらう」ことが売りの、ふつうの風俗店ならそういう違和感は無いのである、それは単純に金銭で肉体的な快楽を買うことがハッキリしてて、客が一人で勝手にえっちぃサービスをしてくれる女の子への擬似恋愛に浸ることはあっても、本気でハマる奴はそっちの方こそがバカだという空気がある。
しかし、メイド喫茶というのは「メイドに仕えられるご主人様になる」という立場、人間関係の精神的優越感(そう、優越感だ!)を積極的に商品にしているわけである、その事に、反発や嫌悪とまで言わないが、何かうまく言い表せない抵抗を感じてしまうわけだ。
まあでも、メイド喫茶の客は、店のレジに立つ時点で、金を払って「ご主人様の気分」を買ってることに自覚があるだろう。しかし「女を紹介します系」スパムの文面がより白々しく、気持ち悪いのは、ただパソコンの前に座ってるだけで、自分から何も動いてない相手に対しても、女が自分から寄ってきてくれるという幻想を振りまいていることだろう。