電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

飯田橋駅の思い出

なんでも、国会で野党側はクールビズ導入を躊躇してるらしい。
「保守はお堅くおっさん的/野党は解放的で若者に媚」という従来の通俗図式を覆す意志でもあるのかと思えば、単に、与党に従うのはシャクだから、という理由には、まるで合理性がないではないか。まあ、これは「保守与党=お堅くおっさん的」というイメージを自ら覆し、先手を打ってノーネクタイの涼しげで解放的な印象を打ち出した小泉の勝ちだ。
欧米とは違って高温多湿な日本の気候を考えれば、夏場はネクタイなどしなくて済めばしない方が良いに越したことはない、とは日本中の人間が思っていることではないのか?
まあ実際、ノーネクタイでワイシャツの一番上を開けているいるのはイマイチ締まらない印象がある。だが、わたしが中学生当時は、布のネクタイではなく紐のループタイをしている教師がたまにいた、これなら開襟シャツとも組み合わせられるし、野党はループタイを普及させるというのはどうだろうか、などと思うのだが、どうも世間ではループタイとはおっさん臭いアイテム、という印象があるらしいとも聞くし、難しいものである。
ところで、かつてわたしは勤め人をしていた当時、地下鉄東西線で通勤していて、飯田橋駅を乗り換えに使っていたが、夏場になると、自宅を出る時はノーネクタイにサンダル履きで、飯田橋駅のトイレでネクタイを締め、靴に履き替えていたものだった。
「なんてだらしない!」と怒るなかれ、自宅から最寄駅まで歩くだけでも汗だくなのである、自宅を出るときからネクタイなどしていればますます汗をかいて不快な体臭を撒き散らし、周囲の人間に迷惑をかけること請け合いである。とはいえ、駅のトイレでネクタイを締めるなんてものぐさをする男はわたしぐらいなものだろう、と思っていたら、飯田橋駅のトイレの洗面台前は、わたしと同じく、ここでネクタイ締めてるサラリーマン男でいっぱいだった(さすがにサンダルを靴に履き換える奴はいなかったが)。
大体、ネクタイとは何のためあるのか? 実用的意味のない象徴的儀礼用の飾りというなら、土人股間にはめるちんこケースと何が違うのか? 真夏のネクタイ、これはどう考えても非実用的・非科学的を通り越して、反実用的・反科学的とさえいえる。
要は、日本と違って寒冷乾燥気候の欧米では意味はなくとも飾り物として通用していた慣習がそのまま持ち込まれただけだろう。実用的、科学的根拠のない儀礼の風習というなら、チョンマゲだって変わることはないではないか。だというのに欧米人の勝手な風習の基準に従わなければ文明人扱いされないというのはどう考えてもおかしい。植民地主義である。なぜチョンマゲがワールドスタンダートにならないのか? ……だが、理由は簡単である。
日本が戦争に負けたからだ。○| ̄|_
(↑以上、本気にし過ぎないように)