電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

中南米、旧ソ連、宇宙世紀

仕事にかこつけた読書の一環でガルシア・マルケス編著『戒厳令下チリ潜入記』(岩波新書)を読む。数年前、洋泉社ムックの『この新書がすごい』で、普段ゲテモノ映画評ばかり書いてる柳下毅一郎ガース柳下)が珍しく真剣に推してたんで印象に残ってた一冊だ。
本書の語り手たる映画監督ミゲル・リティノは、ピノチェト派のクーデターでチリから亡命後、軍事政権下の祖国に潜入してその記録映画を撮ろうとする。覚悟を決めて万全の準備で密入国すると、意外にも軍事政権は安定しているようで危険は少ない。しかし、ちょっと警備員に呼び止められたり、協力者との連絡が途絶えるたびに大いにスリルを味わう。
オーウェルの『カタルニア讃歌』でもそうだったが、憲兵や治安警備隊員がうようよ歩いてるような体制下では、一見瑣末なことでも、いつ撃たれるかわからず、自由に振舞うには偉大な勇気を必要とするという感覚が、非常によく描き出されている。
一見平穏な軍事政権下でも、秘密撮影取材を続けていると、圧政に耐える民衆の姿が見えてくる。南部の貧しい漁村では、貧民が密かに、ピノチェト派に倒されたアジェンデ元大統領の肖像画を、隠れキリシタンのように拝んでいるといったくだりは胸を打つ。
しかし、チリに限らず、80年代の中南米はこんなんばっかである。
エルサルバドルでもニカラグアでもペルーでもコロンビアでも、強大なアメリカ資本と結託した悪徳為政者が跋扈し、サンディーノだのマルティだの、それに潰された「伝説的なカリスマ指導者」がいて、民衆がその名を冠した組織を作ってテロやゲリラを繰り返す。
このへんの80年代の中南米紛争(とアメリカの介入)の話を読み返して思うのは「レーガン必死だな(藁」という感覚である。まあ、必死なのも無理なかったのだろう、冷戦時代、アメリカのすぐ近所が左翼ゲリラだらけだったのだから。
――で、またもや話を卑近なオタクレベルに落としてしまうが、最近また別の仕事のために『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を観返した。これが作られたのは1988年だ。当時、劇中の「天誅ネオジオン万歳!」「このシャア・アズナブルが粛清しようというのだ」といった台詞を「時代錯誤」と評した声があったが、いや、80年代においても現実の中南米には、依然、地球連邦政府ならぬアメリカに急進的に敵対する、シャアの率いたネオジオンばりの、狂信的な党派、小政権が、平気でそういう言葉を乱発してた筈だっての。
それから10余年、今度は、チェチェンをはじめとする旧ソ連地域の辺境が、そうした反中央集権の狂信的な小カリスマ指導者による小ファシズム政権乱立状態となっている。
やはり、日本はなまじ平和ゆえ見てないものが多いのかも知れない。戦争や圧制は人間のドラマをよく見せてくれる、実際そこに生きるのは、ただただ悲惨だが。