電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

シャア専用、略して斜陽、でなきゃよいが

さて、以前もご紹介の通り、『WAO!マガジン』誌はかつての『GORO』や『スコラ』のような、由緒正しきグラビアB級男性誌なのだが、創刊号では、なぜかガンダムの記事が一番読者のウケが良かったとの話(←マジかよ!?)
……と、いうわけで、急遽「何かガンダムねたでひとつ」と言われ、一昨年に『Zガンダムヒストリカ』の執筆に関わってた当時の仲間にリサーチかけまくって、ちょうどタイムリーにシャア関連の書籍が二冊相次いで刊行というので、今回の記事と相成った次第。
確かに、ガンダムは便利だ、それこそワルい男の生き様だの、職場の不条理だの、男女関係の悲喜劇だの、戦争と権力だの、何でもガンダムにかこつけて語ることはできるし、そうすると説明しやすいしウケやすい構造もわかる。
だが、本音を言えば、ガンダムねたの企画など方々のメディアでやりつくされている。いやガンダムに限らない、漫画やアニメや映画やドラマetcetc……と、文化事業が軒並み過去作品の回顧ばかりで、タコが自分の足食ってる状態、ってのは(わたし自身それに荷担しておいてナンだが)ちょっとまずい筈だろう。そろそろ新しいものを構築するか、それができなければ、とりあえずまったくの古典原典に立ち返る必要があるのではないか。
呉智英夫子が『ダ・ヴィンチ』で連載を続けている「マンガ狂につける薬」などは、地味にその役割をよく果たしていると敬服している。毎回、比較的最近の漫画作品と、文学や思想の隠れた古典を同じ視点、論点で並べて論じ、今の若い読者にわかりやすく古典的原典的テーマと現代的事象の連結を提示している。
近世に朱子学が定着しすぎて儒教が形骸化しかけた中、孔孟の古典に立ち返って倫理哲学と現実政治を切り離し、地に足のついた次世代の思想を準備した荻生徂徠伊藤仁斎は、そのような存在だったのかも知れない。
……とか書いてると話が大きくなりすぎだが、願わくば、今年はわたしも、わずかながらでもそんな役割にせめて近づく仕事を目指したいものである。