電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

当たり屋外交

SAPIO』と『正論』で小林よしのりが「ガンジー主義」と「憲法9条」の違いを論じているが、もっとわかりやすい言い方があるのに、と思った。
ガンジー主義」とは「ハンガーストライキ」と同じだ、と言えばいいのに、と。
ハンガーストライキとは、相手に要求を突きつけて、それを果たさないならば自分が絶食し「要求を飲まねば俺は餓死するぞ」と相手の人道精神に訴える手口だ。
当然、相手が元よりこっちの死を望んでいる場合や、「あいつを餓死させるのか?」という「外部世間の目」がなければ無意味な戦術である。
冷戦につけ込んで日本の安全を守る方便として編み出されただけの憲法9条にそんな気概は当然、ない。
だが、1991年の湾岸戦争当時、浅田彰は「我々は、戦うぐらいならいざとなったら無抵抗で全滅する覚悟があるというのは、全ての戦争が核戦争になり得る時代に対抗できる唯一ラジカルな平和思想」とのたまっている。
これについてくる人間はまずいないだろうが、本当に平和主義に対して「信仰心」のある人間なら、そんぐらい言えなければ欺瞞だろう。
現在の日本人は、表面的には右でも左でも、要は、現代日本人は皆、自分が加害者になりたくないだけではないのか、としか思えない。
前々から考えていたことなので、袋叩き確実の暴論をあえて述べる。
わたしはもう何年も前から、「鳥取砂丘あたりに北朝鮮テポドンの破片が落ちないかなあ」と願っている。
おっと、怒るな! よく聞け! 鳥取砂丘なら死人はまず出ない、だが日本本土に北のミサイルの破片の一つでも落ちりゃ「おい、よくもこっちからは何もしてない人様の領土にブチ込みやがったな」と、被害者様ヅラで思い切り怒鳴ってやれるではないかw
まあ要するに、北の恫喝外交に対する当たり屋外交である。
袋叩き間違いナシの暴論だろうとは思うが、それで「日本だけが一方的に被害者になれて代価を要求できる状況」になるなら、案外、これが今の日本人多数の本音に沿っているのではないか?