若(馬鹿)気の至り
わたしがネット上で初めて書いたSS(ナチスの親衛隊ではなく、ショートストーリー)は、『マリみて』でもなければ『月姫』でもなく『カラマーゾフの兄弟』の二次創作だったw
先日、ドストエフスキーについて書いてから、色々あさってたら、もう何年も前に『カッラマーゾフの兄弟』を初めて読んで間もない時期、ドストエフスキー愛読者の集まる掲示板に投稿した恥ずい小話が出てきたんで再掲する(つーか、「骸吉 + ドストエフスキー」で検索すると、いまだに引っかかる)。
イワン・カラマーゾフは、朝からずっと考え込んでいた。
「果たしてこの世に神は在るのか? あるならばなぜ、この世にはあんなに多くもの、児童虐待や、かつての時代の残酷な異端糾問や、その他あんなに多くの残酷で理不尽なことが許されているのか?」
彼はさんざん、心の中で神の存在の有無を問う道を行きつ戻りつし、ついに「兎に角神はいない、ってゆうか、そんな残酷で理不尽な神は俺は認めない!」と腹の中できっぱり断言した。
するとその時、路上のイワンの袖を一人の初老の男がつかんで言った。
「それはきみ、いけないよ!」
その男は、歳の頃は五十歳ばかりであろうか、小柄で、貧相な印象ではあったが、黒々とした風格ある髭を蓄え、広い額と、強い意志を感じさせる鋭い瞳には並々ならぬ知性が感じられた。一見したところ気性は狷介そうにも見えるが、その眼の奥には、暖かなものが感じられる。よく見ればその顔には、苦渋の跡と思わせる深い皺が数多く刻まれている。まるで十年もシベリアに流刑にされていたような印象の男だ。
初老の男はイワンに顔を近づけ、興奮して叫んだ。
「きみ、神は存在するよ、存在するとも!」
ちょうどこの瞬間、教会の鐘が鳴って、聖なる復活祭の始まりを告げた。空気ぜんたいが鳴り響き、揺れ始めた。
と、そのままイワンの目の前で、その初老の紳士は泡を吹いてぶっ倒れてしまった。どうやらてんかんの発作らしい。
イワンが途方に暮れていると、数人の農夫たちが駆け寄ってきて、口々に言った。
「あーらま、フョードルの旦那、また倒れちまっただべか、困ったおっさんだべな。年々てんかんの発作がひどくなっとるのお」
「どうすっべ」
「しゃあないわな、お家まで運んでやるしかなかんべ」
「おう、じゃ、おら、ひとっ走り先に行って奥様に伝えておくだ」
貧しい身なりの農夫達は、寄ってたかって初老の男を抱え、よろよろと歩き出す。
イワンは農夫の一人に聞いた。
「あの……彼は、どなたですか?」
農夫の一人が苦笑して言った。
「あー、こちらのじっさまはな、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー様ちゅうてだな、首都じゃ有名な作家様なんだど。もっともわしら字が読めんからよくは知らんがの」
隣にいた別の農夫が言った。
「いっつも、朝の祈りや昼の祈りの時には、一番早くに教会に来て、一番遅くに帰りなさる、こう、隅の方の右の柱の陰に立ちなさってな。勤業の間、ずっとひざまづいたまま立ち上がらずにおったこともあったの」
「んだ、んだ、偉い作家様じゃというのに、全然偉そうぶらんで、いつも目立たんように、地味に真剣に祈ってなさる」
「はははは、わしらみたいな不信心もんにはまねができんわな」
「だけんど、このじっさま、金遣いは荒いし、女癖も悪いし、ドイツに行って博打でとんでもない借金を作ったとか、しょっちゅう喧嘩ばっかりしとるとか、ろくでもない話がいっぱいあるんじゃけんどな、でも、わしらはこのおっさんが好きじゃで」
「真面目なだけの空っぽなやつより、よっぽど面白い人じゃあけえの」
「んだ、んだ」
農夫達はにこやかに笑って口々に言うと、そのまま、フョードル氏を担いで運んでいった。
イワンはふと思った。
「なんなんだ? あのおっさんは。『神は存在するとも!』だってぇ、わざとらいいじじいだぜ。本当に信心がある人間は、あんな大袈裟な身振りはしないさ。それに、博打に女にとさんざん悪行を積んでおいて祈るなんて、ていのいいマッチポンプじゃないか、欺瞞的なやつだ……」
イワンはその冷静な知性で、老人を贋物と決めつけ矮小化しようとしたが、そこでふと思った。
「――しかし、あのおっさんの、『神を信じたいと思う心』は紛れもない本物かも知れない……いや、俺と同じか……?」
イワンは考えに行き詰まって立ち止まり、それからまったく無関係な別の考えに移った。
「……それにしても、フョードルって言ったな、親父と同じ名前じゃないか……」
イワンはふと、父のことを、そして兄と弟の事を思い返し、久々に故郷に帰ってみようかと思いながら、また思索の道を歩きだした。
読み返すとやっぱいまいちカタいな……
ちなみにこれ、冒頭部分は内田百間(←ココ「門」に「月」)の『白子』という短編のパスティーシュなのだが、って、そんなもんわかる人ほとんどいないよな。
なお、文中のドストエフスキーの「きみ、神は存在するよ、存在するとも!」と絶叫→鐘が鳴り響く→てんかんの発作でぶっ倒れコンボは、一部で有名な実話エピソード。井桁貞義『人と思想 ドストエフスキイ』(清水書院)の99〜100ページなどに出てくる。