電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

資本主義真理教は狂信しない?

少し前、若松孝二監督の映画『連合赤軍』を観てきた畏友ばくはつ五郎氏(id:bakuhatugoro)と、こんな話をした。
なるほど連合赤軍というのは、結果的に、狂信的な犯罪集団となった。だがそれは、彼らがなまじ、社会変革という正義や理想を徹底して追求した結果であって、そりゃ自分が永田洋子森恒夫と仲良くできるかといえば嫌だが、だからといって、何の理念も追求せず目先の利益だけで生きてる現代の人間が「あーいう狂信的な人たちは困るね。でもボクらは彼らと関係ない」という感想を持って終わりになるような描き方ではイカンだろ、と。
連合赤軍共産主義革命という社会変革をを標榜し、オウム真理教も、迷える生衆を救いたいとかナントカ、とにかく、当人の主観としては、理念のために行動していたつもりだった。が、理念ばかりを至上価値として追求している人間は、時として、そのため保身や社会一般のルールも平気でかなぐり捨てるので、ああいう狂信に行き着く場合もある。
その昔、1970年代の中頃には、全共闘運動も下火となり、チューカクハとかカクマルハとかいった新左翼セクトは、疑心暗鬼から陰惨な内ゲバに終始し、当人らは機関紙で自慢げにその戦果を誇ったが、圧倒的多数のフツーの人間からは「何あれ、キモい、怖い」としか思われなかったそうである(立花隆の『中核vs革マル』とかに詳しく書いてある)。
同情の余地はないが、彼らも当人の主観では、正義や理想を追求しているつもりだった。
かくして、右や左のプロ政治思想団体や宗教団体は、なまじ理念やら信仰心やらを追求するゆえ、圧倒的多数のフツーの人間からは「何あれ、キモい、怖い」と、ヒかれるが、皮肉にも、何の正義や理想も追求せず、利益しか追求していないネットワークビジネスだのMLMだのマルチ商法だのは、それゆえ「何あれ、キモい、怖い」とは言われない。
実際、たとえば、渋谷の路上でアムウェイ派の活動家がキャッチセールスをやってたら、ニュースキン派の活動家が「ここはウチの縄張りやで、何しよるんや?」と角材で殴りかかり、アムウェイ派が鉄パイプで応戦してニュースキン派の活動家を撲殺、機関紙で「反資本、労働者の走狗ニュースキンブルジョワ的鉄槌!」などと戦果を誇り、圧倒的多数のフツーの人間からは「何あれ、キモい、怖い」と、ヒかれる……などというような、心温まる爽やかな事件は、残念ながら絶対に起きてくれない。
なぜかといえば、利益しか追求してない人間は、それゆえ、どこかで保身や社会一般のルール(つまり世間体)との折り合いをつけることに妥協するから、極左セクトや宗狂団体のような狂信には行き着いてくれないわけである。
と、思っていたら、2004年には振り込め詐欺連合赤軍事件」(俺が勝手に一人でそう呼んでいる)、というものが起きて拍手喝采した。
何かといえば、振り込め詐欺で荒稼ぎした党派が金の取り合いで同志を粛清して山に埋めたそうである。ゲス悪党同士が仲間割れで殺人! 宮崎勤小林薫のよーな、どこぞのサエない男がそんな奴でも手にかけられる女子供をいたぶって殺害、といった事件に比べれば、嗚呼、なんと心温まる爽やかな出来事だろう、と感動したが、コイツらは、振り込め詐欺という時点で既に法を犯して市民社会からはみ出しているわけで、となれば詐欺も殺人も同じだ、という心境だったのだろう。ゆえに、残念ながら彼らはアムウェイとは同列に語れない。