電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

2007年最後の挨拶とか年間ベストとか

と、いうわけで「今年の私的お気に入り作品」。ちなみに2006年度版。2005年度版。
1.小説『日本沈没 第二部』小松左京谷甲州
2.映画『日本沈没森谷司郎監督(昭和版)
3.映画『日本沈没樋口真嗣監督(平成版)
八月一日の日録参照。
非日常によって日常を再認識させる、という意味ではまったく正しいSF。
人間は、つねに生まれ育った土地や文化圏込みで成立している。我々は、国籍や世代や職業や生まれ育った地縁血縁と関係なく「本当の自分」があるなどと錯覚し、この当たり前のことをうっかり忘れがちである。私事ながら、今年は旧友が渡米して日本共同体社会とアメリカ的共同体社会の違いの話をする機会が何度かあったので、このへんを痛感させられている。
4.映画『トゥモローワールド』クライヴ・オーウェン主演
一見、オーウェルの『1984年』みたいな古典的なディストピア物かと思いきや、実際は、青年期の挫折から保身と世間体ばかり考えて生きるようになった中年男が人生の最後に利他的自己犠牲に目覚めて、自分の恋人でもない女とその赤ん坊のため戦う話。英国にはまだ、ヒッピー的理想主義と騎士道精神が残っていたのか。久しぶりに良いSFを観た。
5.小説『DDD』那須きのこ
八月一日の日録参照。
第一巻は奇をてらった超能力犯罪物かと思わせておいて、第二巻は正統派青春小説に。まあでも、恐らく第三巻は少年ジャンプ的バトル展開になってしまうのだろうな。
最新のライトノベルは大して読んでないが、人気のある作家とされる中では、この人の書くものは、この手の理屈の多い伝奇物にありがちな文系内向人間の自己憐憫的自己陶酔に陥らず、むしろ全力でそれにツッコミを入れる暴力的健全さのおかげで、同世代的共感を持てる。
6.漫画『ピルグリム・イェーガー冲方丁伊藤真美
ヨーロッパにおける中世の終わり、近代の始まりはルネサンス期ともいえる。それは何かというと「カソリック教会の精神支配からの自由」の始まりとゆーことらしい。
「自由市民権を得ようとしている旅芸人」という主人公設定で、阿部謹也ハーメルンの笛吹き男』のように、当時のヨーロッパ都市非定住民の身分に着目した点もナイス。
どーでも良いがイグナティウス・ロヨラ強すぎw フランシスコ・ザビエルは性格悪すぎw いろいろと、ある意味正しいが間違ったルネサンス人物像が刻まれること請け合い。
7.映画『ナチョ・リブレ 覆面の神様ジャック・ブラック主演
もはや日本では、『無法松の一生』無法松や『背景天皇陛下様』の山田二等兵が成立できなくなって久しいが、メキシコではまだ「馬鹿が戦車でやってくる」は可能だった。
日本のラブコメやギャルゲーならば白々しくて見ていられないハッピーエンドも、中米の極貧のブ男が身体を張って戦った結果だから感動的に見えるのである。日本の非モテ男もこの路線で行って欲しい。
8.小説『リーンの翼富野由悠季
仕事のために読もうとしたら、まず入手が困難になっている事に驚く。『リーンの翼』アニメ化の際に復刻されなかったのかよ!
本作品はもともと1980年代の『野生時代』の看板連載作品だったわけだが、これが復刻されないというのも、角川書店における「角川春樹の仕事」を黒歴史化しようという一環の影響か?
さて、小説版の本作品の主人公は「特攻で死に損なってなぜかファンタジー異世界に飛ばされてしまった日本兵」である。当時の富野由悠季大東亜戦争理解には今の目ではいささか一方的な見方と感じる部分もあるが、生まれ育った祖国や同朋のためなら戦って死ねる、と自己形成してきた日本人が、その祖国や同朋といっさい切り離された異世界で、自ら戦うモチベーションを作り出すことはできるのか? という発想自体は、日本人論として、古びていない。
9.映画『サラエボの花』ヤスミラ・ジュバニッチ監督
十二月十三日の日録参照。
考えてみると、この映画中の、中学生ぐらいの娘がいる主人公や、元兵士という設定の主人公の勤務先の店主は、俺と大して変わらない年齢の筈である。
バブル崩壊から1990年代中頃、日本でわたしがサエないフリーターとして、のほほんと生きていた頃、旧ユーゴスラヴィアは泥沼の戦場だった。
戦争という非日常と、何の変哲もない日常の奇妙な共存、それは日本もかつてくぐってきたのと同じ道なのだろう。

0.TVアニメ『天元突破グレンラガン今石洋之その他
0.映画『劇場版エヴァンゲリヲン庵野秀明その他
0.映画『真・女立喰師列伝押井守その他
順位とかつけたくない、寝転がって画面にポップコーン投げつけながら観るように、正しく娯楽として接した作品。
グレンラガンは、昨年、放送開始前のマスコミ向け記者会見に直に行ったとき、どうにも一般向けに喋るのが下手で思わせぶりな内輪受けに終始するスタッフ陣に不安を抱いたものの、いざ放送が始まると、その不信感は完全に消し飛んだ。
鬱屈した地下生活から死闘の果てに爽快な地上へ飛び出し、次の敵が登場!という第一話の引きがもお強烈。個人的には、マレビトの主人公が一生懸命戦えど、昔ながらの掟に生きる民には一切歓迎されぬ第五話が印象深かった。ガンバの冒険以来のパターンじゃないか。その後、中盤でダレたかと思ったら、敵との勝利後、大人になって勝者の驕りに陥る主人公たちと、そこからの再起まで描くのだから、全27話としては相当な密度だ。
これ20代前半までだったら絶対大いに熱狂したな。まあ、どうしても昔のアニメのパロディじみた印象になるのは仕方ないが、年長者との関係で成長する男の子という王道をきちんとやった作品は相当に久しぶりではないか。何より、主人公がヒロインと結ばれないストイックさが偉い。
エヴァの映画は行事、イベントである。クライマックスでのヤシマ作戦のための山頂に作られた巨大な施設の描写など、相変わらず、東宝特撮映画のように大スクリーンで見るのに相応しい。
内容についてはまだ「序」しか出てないんだから保留。とはいえ、そのクライマックスの出撃前、シンジ君がミサトさんに手を握られて握り返しても眼はそらしたまま、といった、進展してるようで進展してるのか不明な微妙な人間関係の距離感など旧作品と違った角度の緊張感は興味深い。
渋谷の1館でたった3週間上映の女立喰師は、完全に映画を楽しんだというよりイベントである。実際にノリが、学生時代よく行ったATCミニシアターの3本立てに近い。
いまいち各監督と各女優の組み合わせが予想外の化学変化を生んだという印象は弱いが、まあ、そのへんのこなれなさ具合も実験的作品ということで。個人的には、サトウキビ畑が舞台の第四話が良かった。
どーでもよいが、第三話で、素面で出演してた神山健治監督の仏頂ヅラは、ありゃ演技じゃなくて地なのか。