電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

産業革命と市民革命の関係

(※以下は、仕事で19世紀帝国主義に関する本をいくつか読んでてふと思いついたこと。例によって根拠薄弱な素人の思いつきレベルの域を出ません)
18世紀以降の産業革命では、まず紡績機械の発達で織物・服飾産業の生産量が増大し、さらに、蒸気機関を利用した交通システム(鉄道と遠洋航海が可能な汽船)の普及で市場が拡大した。
19世紀以降の欧米列強諸国が取り組んだ帝国主義植民地獲得戦争とは、単なる領土と資源(人的資源=奴隷を含む)の確保だけではなく、「市場」の確保を目的としている。これを可能ならしめたのは産業革命といえる。
産業革命は、従来の伝統的権力者である貴族・封建諸侯よりも裕福な産業資本家の市民階級(ブルジョワジー)を生み出した。産業資本家は、さらなる自己の利益拡大のため、産業革命を進展させた。
産業資本家の財力、政治力の拡大は、従来の伝統的権力者である貴族領主(封建諸侯)の権威の相対的な低下をもたらしたはずである。
産業革命と市民革命の先発国だったイギリス、フランスでは、こうして産業革命と市民革命が相互作用し、帝国主義「市場」獲得戦争を推進したのではないか、と考えられる。
では、市民革命と連動しない産業発展はありえるか?
帝国主義時代、英仏の発展に遅れたドイツやロシアでは、殖産興業が、産業資本家市民階級の成長による「下から」の自発的なものではなく、英仏の海外領土拡大に対抗して国力を高めるという、「上から」の政策として行なわれた。
ドイツではこれが成功したといえる、なぜかというと、18世紀にフリードリヒ二世王が初等教育制度を整備して以来の元から教育水準の高さがあり、手先の器用な人間が多く、また勤勉を美徳とするプロテスタンティズムの影響があったからと考えられる。
しかしロシアではあまりうまくゆかなかった、これは、高学歴階級が圧倒的に少なく、国民の大多数が農民(農奴)で中間市民階級も少なく、国土が広すぎて産業システムを効率よく全国的に普及させるのが困難だったかではないか、と考えられる。
清朝では、異民族の文化を見下す中華思想がさらに近代文明の導入を遅らせた。
しかし、日本も日本も同じく市民革命を経ていないにも関わらず産業発展には成功した。何しろ、1860年代末に近代産業システムの導入をはじめてから、たった30年余りで、ロシア相手の戦争に勝利(それも主におもに、機械化された海軍力で)しているのだし。
では、日本の産業近代化が成功した理由は何か?
明治維新後の段階では、日本には、産業資本家市民階級(ブルジョワジー)などほとんどいなかった。産業近代化はドイツ・ロシアと同様「上から」の政策として行なわれた。
これが日本でことのほかスムーズに進展したのは、そもそも明治期の日本では、伝統的権力者としての貴族領主(封建諸侯)というものがすでに解体されていたからではないか、と考えられる。
歴史的に、貴族領主(封建諸侯)の財源は、領地からの年貢収入が主である(戦時にで戦果を上げれば恩賞を得られたが、代わりに指揮下の騎士・傭兵への軍費は自腹だった)。
明治維新ブルジョワ市民革命ではなかった。しかし、版籍奉還廃藩置県によって、それまでの貴族領主(封建諸侯)の土地支配制度は解体された(ただし農村の地主支配は強固に残った)。
明治期の日本には「華族」(爵位保持者)というものがあったが、これのほとんどは領主として領地を治める土地貴族ではない。
同時期のヨーロッパ諸国の多くは、依然として土地貴族が存在し、またこれに準じる階層として、イギリスならジェントリ、ドイツではユンカーと呼ばれる郷紳階級があった。
日本の「華族」は、維新の元勲、公家、旧藩主などだったが、その多くは、もはや領地支配者ではない。明治維新で四民平等が唱えられて以後、士族の多数は、領地を治める領主ではなくなった。
廃藩置県後しばらくは、旧領主が横すべり的に知事を務める例もあったが、次第に領主−領民という昔からの支配体系は解体された。
では、失業士族の多くはどうしたかというと、新政府の官吏や軍人になるか、商工業に転職したわけである。
商売を始めたは良いが「士族の商法」と呼ばれて失敗した人間は多かったようだが、一方、岩崎弥太郎渋澤栄一など、下級武士出身の産業資本家は少なくない。
ドイツとイタリアは、日本と同じく1860年代に政権の統一と近代中央集権化を成し遂げたが、これは実質、従来からある地方領主が、それぞれプロイセン王国サルディニア王国の支配下に入った、ということで、その後も昔からある領主・土地貴族が存続した。
これと比較すると、日本の明治維新のほうが、ドイツ、イタリアの国土統一運動よりも、一度旧来の支配体系をまっさらにしての新政権建設という性格が強かったといえるのではないだろうか。