電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

仕事に顔のあった昭和、仕事に顔のない現代

産業が高度化してなかった時代とは、仕事が具体的だった時代、ということだ。
一日じゅうオフィスのパソコンをカタカタやっていても、傍目には何の仕事をしているかわからない。だが、畑を耕したり、自動車を修理する仕事なら何をしているかすぐわかる。

プロジェクトX」人気の秘密は、技術系サラリーマンを中心とする主人公たちが取り組む困難な仕事(プロジェクト)が「何の役に立つのか」がきわめてわかりやすいところではなかったか。
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しかし『昭和三十年代主義』では、吉永小百合の映画『いつでも夢を』の中で、定時制高校出身で工場労働者としての社会人経験もある優秀な青年が、それゆえ就職希望の会社から忌避されるという皮肉が語られる。
ここから浅羽は「普通科進学→会社員」という進路のみをエリート扱いし、実学的な工業高校や商業高校卒は落ちこぼれヤンキーの受け皿にしてしまった高度経済成長期以降の教育システムは、役割の明確な専門技能労働者より、差し替え自在な汎用部品としての会社員を作ることを目的とする価値観に支えられている逆説を暴く。
なぜ、実社会で役に立ちそうな技能学習やアルバイトより、何の役に立つのかわからん受験勉強ばかりが要求されるのか? 高校時代にそう不思議に思ったことのある人は、疑問が氷解する思いがするだろう。いや、俺もだ。
さて、話は横道にそれるが、小泉内閣のブレーンを務めた竹中平蔵石原都政で副知事を務める猪瀬直樹など、今の新自由主義的経済政策、格差拡大を肯定する政財界のおエラいさんの発想は、乱暴に要約すると、以下のようなものである。
 ・これまで:10人が10円づつ儲けている。つまり10人全体の儲けは100円。
 ・これから:1人が1000円儲ける、残り9人は1円づつしか儲からない。しかし(見かけ上)10人全体の儲けは10倍以上になった、バンザーイ。
地方切り捨て、不採算部門切り捨ての自由競争主義とは、端的に言えばこういうことだ。
オイオイ、一見全体が向上したように見えても、儲けが1円の9人はどうすんだよ?(それにどうせ、1人だけ1000円儲けてる奴は、おエラいさんのお仲間だけだ)
なるほど新自由主義的な構造改革論者にしてみれば、それまでの10人が10円づつ儲けるシステムとは、競争原理の欠落した旧い護送船団方式であり、批判の対象になるのだろう。だが、頑張っても1円しか儲からない奴は、そもそも真面目に働く気がなくなる。そっちのほうが世の中が不健全でないか?
上記のような政策を進める側は、旧い産業に従事していて失業した人間は新興業種に転職すればよいと説く。だが、これぞ人間を差し替え自在のパーツと見なす発想だ。
これに対し『昭和三十年代主義』中で、浅羽は、松原隆一郎『消費資本主義のゆくえ』『長期不況論』を引きながら、個人商店の店主として生きてきた人間が簡単にITサラリーマンになったりできない方が当たり前だろう、と説く。まったくだ。
上記のような政策を進める経済官僚自身は、国政の方針ならば、自分のキャリアがまったく生かせない別の職業に転職することも受け入れるというのだろうか?