電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

よく「○○の裏を知りつくしている」とエラそうに言いたがる奴がいるが、そーいう奴は大抵じつは「裏しか知らない」。
ネット世論では、マスコミだの政界だの芸能界だの何だのについての「裏事情」「裏情報」とやらが溢れ返っているが、そうした「裏」だけ知ってればすべてわかったような態度を気取れるというのは、中二病の発想だ。
実際、それらの「裏事情」「裏情報」が事実であったとしても、ただ「知っている」というだけの奴の何が偉いのだろうか?
その昔、浅羽通明は『ニセ学生マニュアル死闘篇』で、「世界は実は○○が裏で仕切っている(○○にはフリーメーソンでも創価学会でもマリ共和国のドゴン族でもなんでも代入可)」といった陰謀論は、自力では世の中を動かすエリートになれなないが、世の中の裏を知っているという優越感は欲しい人間の心理に支えられていると説いた。
何もせず「裏」をただ「知っているだけ」の人間より、努力して「表」で働いている人間のほうが偉いのが当たり前だ。