電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「敵は殺せ」を生む恐怖心

たまたま仕事で今度は中南米の地理と歴史に関する本をいくつか読んでいたが、マヤ・アステカ文明やインカ文明、イースター島の巨石遺跡などは、初期に入植した白人の徹底した破壊活動により、現地先住民による詳しい資料がほとんど残されていないようである。
つくづくもったいない話だと思うのだが、初期の入植者は、なんでそんなせっかくの貴重な古代文明の痕跡をぶち壊しまくったのか?
現在でこそ、それらの遺跡は貴重な文化財と見なされているが、考えてみると、まったく未開の土地に初めて来た当時の白人には、自分らの常識が通用しない土人たちの異教の象徴であるそれらが本気で怖かったのかもしれない。これはてきとうな憶測だが、その恐怖心こそが、彼らを先住民文明の完膚なき破壊という凶行に走らせたのかも知れない。
ひとつ想像してみたまえ――本国を遠く遠く離れた異郷にやってきて、周囲には自分らの数百倍、数千倍の数の土人たちがいる。夜、本国のような明かりもない中に、恐ろしげな表情をした異教徒の神像が立ちはだかっている――武器を持って侵略に来たはずの大の大人でも、ふっと子どものように怖くなる瞬間なんてのも、人間心理としては充分ありえる。
現代人でも、自分らとまったく異なる文化習慣を信奉し、言葉も通じないという人たちの中に放り込まれればビビる。それでも武力的には優位にあれば、その武力を必要以上に振るうことで安心しようとするかも知れない。イラク駐留のアメリカ兵のように。
「力を持っていても必要以上に使わない」という節度を持つことが、真の文明人の態度だ。だが、常にそれが身につくだけの余裕が持てるかはむずかしい。
……と書いても、城内平和のマクロス要塞艦の中に住むがごとき日本人には、どこまで行っても他人事感覚なんだろうけどさ。