電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

地方の異邦人

先日、じつに小学一年生時の同窓会に呼ばれたので長野県の諏訪まで行った。
わたしは諏訪には小学校二年生の半ばまでしか住んでおらず、当時の同級生とは30年以上会っていない。それで誘いが来たのは、たまたま当時の恩師にだけは毎年、年賀状は出してたからである。
かくしてJR中央本線に乗ると、東京都を離れて甲州から信州に進むにつれてすでに黄色がかった水田が見え、ああ、もう稲刈りの時期か……などと思う。ほとんど東京都23区の西部で完結した生活を送っているので、この程度の季節感さえ失われている事実に気づく。
一時が万事この調子で、今回はいかに自分が「地方の普通の人」の感覚からズレてしまっているか痛感した。

  • 一クラス20数人のうち18人(男女はほぼ半々)が集まったが、女性は全員既婚、男性は当方を含む3名しか未婚者はおらず、既婚者は一人を除いて全員子持ちだったので、きわめて形見が狭かった。
  • 既婚者は当然、子供の話で盛り上がる。仕事があっても子供と遊ぶ時間はちゃんと作れている者が多いようで、これは景気後退でバブル期のように忙しくないゆえの利点か?
  • 家業を継いだ人間の他は、長野市などの圏内の都市部にある会社に勤め、県内の南北あちこちを営業まわりしている者が少なくなかった。企業が密集した東京都23区内の会社なら営業先も23区内のみで済むが、地方ではこれが当然である。
  • 郷里の人間はみな中学以降も親しい仲なので、男女ともほとんど下の名で呼び合う。こちらまで親しみを込めて「けんちゃん」と呼ばれる。39歳にもなって。
  • 地元にいる人間はやはり親まで含めて顔見知りという場合が多い。昨年の諏訪湖花火で子供が迷子になったが、元同級生の親に保護して貰ったという者がいた。このほか、親同士の間で元旧友同士の近況が筒抜けという話が多くあがる。まるで雛見沢村のようだ。

と、こうした話は、地方では「当たり前」なのかもしれないが、こちらはまるで異邦人の感覚だった。なにしろ、信州の諏訪を離れたのは30年以上も前なのだから。
お陰で、集まった皆が、小学校高学年以降、中学高校の共通の思い出や「好きだった相手暴露大会」になると、色気づく年齢になる前に去ってしまったこちらは蚊帳の外で苦笑して話を聞くよりない。
それでも、元同級生は皆、この30年以上も会ってなかった男相手に随分親切にしてくれたもので、夜10時以降はろくに電車もないので「てきとうに民宿にでも泊まる」と話したら、幹事役の一人がわざわざ空いているビジネスホテルを探してくれたりもした。当方には随分と気を遣ってもらったようである。恩師には叱られたが。
じつはわたしは当初、今回の同窓会は何かウラがあるのではないかと勘ぐってさえいた。30年も会っていない同級生から誘いが来るなど普通はなかなかない。行ってみたら「統一教会の幸運の壺を買ってくれ」だの「アムウェイの洗剤を買ってくれ」だのというオチではないかと。旧友に幻滅する覚悟も頭の片隅に置いて出かけたのである。
が、こうした発想自体が、そういう、普通に働いてる普通の人の感覚をすっ飛ばして、世の中全体からすれば小さな存在でしかないカルト的な団体の動向とかばっかりに目が行くような、深読みのつもりの偏った社会認識(こういうの)に毒された人間の思い込みすぎだったようである。少々恥じるべきかも知れない。