電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人間は「正しいこと」だけでできていない

……が、ここまで述べてもなお、純粋まっすぐ君のネトウヨ(べつにサヨクでもいい)は「自分は正しいことを主張している」「正しいことを主張している自分を嫌う異性の方が間違っている」と考えるのだろう。
いや「『正しいこと』しか言わない」から好かれないんだよ。
人間、24時間365日「正しいこと」ばかり言われたら正しくてもウンザリする。
嫌韓の人からすれば「韓国・在日はこんなに悪」というのは、地動説や進化論のように絶対的に正しい学説なのだろう。
しかし、ひとつ想像して欲しい。
24時間365日いつでもどこでも、たとえば昨日の野球の試合の話をしているときでも、明日の朝メシの話をしているときでも、「地球は太陽の周りを回ってる」「人間は類人猿から進化した」とばかり言われていたら、別に地動説や進化論を否定するキリスト教原理主義者でなくても、さずがにウンザリするのが人間の心理というものでしょう。
さすがに「(今は昨日の巨人の試合の話をしてるんだから)地動説と進化論の話はもういいよ」ぐらいは言いたくなる。
しかしそう言ったら「お前キリスト教原理主義者だな! 人類は神が作ったとか本気で信じてるんだろ?」などと返されては、そりゃ嫌になるだろう。
そう「場違いだから」という理由でネトウヨ的発言を批判してるのに「在日発見!」と返す態度と同じだ。
いつでもどこでも『マンガ嫌韓流』の引用口まねばかりしていれば、べつに韓流好きや左翼でなくフツーの人でもウンザリする。別にそれが『マンガ嫌韓流』ではなく『共産党宣言』でも『毛沢東語録』でもドラッカーの『マネジメント』でも同じ事だ。たとえ本来ドラッカー自体がいくら素晴らしくても。

「正しさ」という呪い

しかしながら「正しいこと」に取り憑かれている人間は、往々にして「『正しいこと』を言って何が悪い」「『正しいこと』はいつでもどこでも言わなければならない」という思考に陥る。
こう述べると嫌韓反中愛国の人は真っ赤になって「違う違う一緒にするな!」と怒り狂うだろうが、こーいう所はまさに、60〜70年代の左翼とまったく同じなのだ。
1960年代の中共紅衛兵は、共産主義が「正しいこと」と思い込み、一般常識的な社会習慣をねじ曲げてまで「赤は共産主義革命の色で良い色だから、信号機は赤を『進め』青を『止まれ』にすべきだ」と大真面目に力説していた。
1970年代に左翼の内ゲバが激化した時代、中核派革マル派は、お互いの機関誌で「中核を何人殺害」「革マルを何人殺害」と、堂々と誇らしげに殺人の自慢をかき立てた。当然、常識的な一般人はドン引きである。が、当人らは「相手は反革命党派なんだから殺すのが『正しいこと』」と思い込んで、そのような自分らの態度が外部の一般人にどう見えているかなど考えてもいなかった。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」by孔子論語
なるほど確かにネトウヨ君の述べる韓国や中国や民主党日教組の批判も、事実の一側面としては「正しい」。だが、世の中には他にもいろんなことがあるのだ。韓国とも中国とも民主党とも日教組とも無関係なことも、明らかに日本の方が、自民党の方がダメな点もある。
そして「正しさ」だけを徹底しても人間は生きられない。
ネット世論でのフジテレビ批判の盛り上がりの過程で指摘されたことだが、フジテレビの韓流番組のスポンサー一覧なるものをみたら、トヨタ、日産、ホンダ、パナソニックKDDI……と日本を代表する大手企業がゾロゾロ並んでいる。
またソニーもシャープも液晶開発ではサムスンやLGと提携している。嫌韓を完璧に徹底したら日本企業の製品はほとんどすべて使用不能だ。
人間は体内の雑菌を全部殺菌しても生きられない。残念ながら、嫌いなものとも共存しなければ人間は生きられないのである。これは隣国との関係に限らない。学校や職場でも、嫌なクラスメートや嫌な同僚や上司を個人の力で追い出すことはできない。可能なのは自分が出て行くことだけだ。出て行った先にも嫌な人はいる可能性ある。じゃあ無人島に行くか?
「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」by夏目漱石草枕

「正しさ」と「一般常識」

以前「非厨中二病的なもの」の定義がありえるなら、それは漫画やアニメやゲームか、高級車や高級ブランドか、といった趣味文化のジャンル・トライブの違いの問題ではなく、ジャンル・トライブに関わらず、自分の好きなものだけに固執しない「謙虚で柔軟な態度」ではないかと述べた。
政治思想を語る人間が好感を持ってもらえるかどうかも、語っている主張の中身の上下左右ではなく、語り方の態度で問われる。
ひとつ、たとえ話をしよう。
もし『マンガ嫌韓流』に「韓国はDV大国で〜」と書かれていれば、嫌韓ネトウヨ君は大喜びで引用口まねするだろう。しかし後日もし仮に、高岡蒼甫が「妻の宮崎あおいが自分の韓流批判に従わないから殴った」と発言したらどう反応するか?
そこでもし「韓国支持の女なんて殴って当然」とか「宮崎が自分を殴るように工作した自作自演」などと言い出したら、常識的な一般人はドン引きだ。それ以前に韓国のDVを批判した事と矛盾する。ここで「日本人でも韓国人でもDVはよくない」と言えなければダブルスタンダートだ。これでは信用されない。
以上はあくまでたとえ話で、あえて架空の失礼な話を書いた。
だが、あえてこういう事態を想定したときにこそ「正しさの呪い」に取り憑かれていないかが問われる。
断っておくが、わたしはここで現実の実在する高岡蒼甫氏を貶める気は一切ない。
世の中には、政治的な「正しさ」以前に、嫁に暴力を振るうよーな男はクズ視されるという「一般常識」がある、という想像力を思い出して欲しいから、あえてヒドいたとえ話を書いた。この点のみは、高岡さんごめんなさい。
かつて連合赤軍は「一般常識」をすっ飛ばした「正しさの呪い」に取り憑かれ、24時間365日革命兵士になりきろうとした結果、当人は至極真剣なまま、外部の一般世間にはタダの犯罪集団としか見なされなくなった。
在特会主権回復を目指す会は「在日相手なら何をやってもいい」という論法で同様に堕ちつつあるように見えるのはわたしだけか?

ダメな例は「バランスのない人」

断っておくが、わたしはネトウヨ君は考えを曲げろとも、韓国や中国や民主党日教組を好きになれとも一言も言っていない。
要は「常識的なバランス感覚」なのである。
最初の論題に戻って「ネトウヨでもこういう人ならモテるのではないか?」というモデル像を提示したい。
まず、ちゃんと学校や職場では友人や同僚に礼儀正しく、その場での義務は果たす。さらに、女性が音楽やファッションの話をすればそれに合わせることができる。そして、たまーに外交や政治の話題が出たときだけ(←ここが重要だ!!)、バシッと簡潔に韓国や中国や民主党日教組の問題点を語り、話題の流れ(場の空気)を読んで、その話題は終わりの雰囲気になればもうそれ以上は言わない。それだけだ。
まかり間違っても、あくまで音楽やファッションや野球の話をしてるのに、無理やり話題をねじ曲げて中国や韓国の批判にこじつけを力説してはいけない。
常識的な一般人の間で音楽やファッションやスポーツの話題が出る場合は、あくまで、娯楽として、何が好きか嫌いかの話だ。たいていの人はそういう話題の時「韓国は国策で韓流による洗脳を〜」なんて話に興味はない。ただ「僕個人の好みではK-POPより日本のアイドルが好きだけどね」とだけ言えばいい。
逆に考えてみよう。
24時間365日何の話題を話しているときでも、相手が誰でも構わず自分の好きなK-POPの話や民主党の政治家を誉める発言ばかりくり返して押しつける奴がいたとしてモテるか? これもほぼ確実にヒかれる。偶然たまたま相手が熱烈な韓国ファンや民主党支持者でない限り。
わたしの友人にも韓流好きの人がいる。その人は別に24時間365日相手構わず韓流の話などしない。たまーにカラオケに行ったとき、何曲かに一曲、ウケ狙いでK-POPソングや韓国のアニメの主題歌を歌うだけだ。彼は腹は出てるけどちゃんと妻子もいて仕事も安定している。まあ2ちゃんねるの用語で言うなら「リア充」だ。



べつに今回わたしが述べたとおりにやったら絶対モテるという保証ははない。だが、悪い例として述べた方がモテないのはまあ確実だ。これだけは断言できる。
――なぜなら、わたし自身の人生失敗経験で言ってるからだ☆