電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「身体」と「仕事」を握っているヤンキーの根強さ

ところで、先にも触れた日本人の「ヤンキー的メンタリティ」はなぜ根強いのか?
文系インテリの多いネット世論では、非合理的な気合主義、先輩後輩などの上下関係、暴力的制裁などのヤンキー的なノリは毛嫌いされる。うん、気持ちはわかる。

ヤンキー的な気合主義が蔓延している (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース BUSINESS
http://b.hatena.ne.jp/entry/newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130317-00013068-toyo-nb

だが、例によって年寄りの昔話をすると、かつて1980年代当時の地方の中高生には、良くも悪くもDQNヤンキー不良は「大人」に見えた。
まず、彼らの多くは自動車やバイクに乗っていた。つまり免許を持っていて、「移動する自分の空間」を所持していた。そして大抵彼女や彼氏がいた。文系インテリの童貞からは悔しくても大人に見えるのは無理ない。悔しいけど。くそっ。
そして彼らは、高校を中退して働いていて自分の金で買った車や服を持っていたり、当人は在学中でも、働いてる親しい先輩がいたり、他校の不良仲間と交友があったり、つまり「学校の外の世界」に接している人間だった。
DQNヤンキー不良の就く仕事と言えば、飲食店、運送屋、土建屋など身体を使う系が多数だ。この手の仕事には、きびしい上下関係や身体的行動のともなう結束力がある。文系内向人間が理屈で文句を言っても子ども扱いしかされない。
そりゃIT化が進んだ今でこそ、会計データの打ち込みから携帯アプリの開発まで文系内向人間のできるデスクワークのアルバイトの幅は広いが、尾崎豊が現役だった1980年代当時、バイトといえば圧倒的に、飲食店、運送屋、土建屋の類しかなかった。
田舎では水商売の店で働いてる奴ごときが「ちょっと大人」に見られた。だって、他に若い奴が就ける、わりとオシャレっぽい仕事のモデル像がないんだから。
ほとんど第三次産業中心に移行した現在においても、みんなが一人残らずパソコン相手に仕事するホワイトカラーの事務員になれるわけではない。日本の経済を底辺で支えているのは、ワタミのような飲食店や佐川急便のような運輸業など体力を使う仕事だ。
TVでもてはやされる芸能界の人間だって、雇用形態としては正社員就職ではなく職人の弟子入りに近く、水商売のように先輩後輩の上下関係はきびしい。
わたしも地金はオタク人間だからヤンキー的メンタリティは好きか嫌いかで言えば嫌いだ。
しかし、ネット世論の多数を占める文系インテリが理想とするような、気合主義や上下関係に束縛されずに生きられる職場がどれだけあるのか? 本気でそのような束縛がない生き方をしたければ、自分が起業するか、フリーの弁護士やプログラマのような高度な技能を身につけなければならない……悔しいが、これもまた現実の一側面なのである。